子供は天使でもあり悪魔でもある。

もろくすぐに壊れてしまう小さな心の天使と悪魔がウラハラに交差する繊細な生き物だ。


そして自らの死をもって社会に刃を向けた。


自ら命を絶つ者はたくさんもの思いの全てを抱えて死んでゆく。 小さな心では重過ぎるくらい心にいっぱいの怒りや痛みを一人で全部抱えて。


でも現実は誰も助けてくれない。 戦うのはいつも一人。


強い者だけが勝ち残る時代に強い者達が機械的に解決へ導こうとは決してできない。


当たり前だが自然界には生と死の繰り返しで成り立つ。



大津市いじめ問題で連日の報道を見ていて私が思うことがあります。

専門家や評論家達が様々な角度から今回の問題を検証しコメントしていますが、いじめに度合いなどない。

いつの時代も加減の知らぬ子供達は自分の価値や居場所、味方を探し必死にもがいている。

もちろん子供達だけじゃなく大人社会にもいじめは存在し、問題視されるのはごく僅かだ。

あくまで今回のいじめ問題は氷山の一角であり、どこかで今日も孤独に苦しみ一人で戦っている人達がたくさんいます。

今を生き抜く子供達はそんな社会や大人達を反映した大きな犠牲者だ。

現代社会の落とし穴を見落とし生きてきた大人達の代償だ。
そんな子供達は無防備にも弱く純粋だからこそ命まで捧げるほどに命を粗末にしてしまう。

変えるのは政治改革や警察体質、教育制度、世論ではない。現場に立つ一人一人のモラルへの認識だ。

命の重みや生きる希望の薄れた時代、上辺だけの教育(家庭・学校)ではなく今見直すべき大人たちに課せられた責任問題で終わらせてはいけないのだ。

立ち上がるべきは現場に立つ一人の勇気、声なんだと認識したい。