高校生のブログ

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高校生3人でぐるぐる交代制でのんびり書いています!
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chiaki・k4ni・boMs

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k4niです。
ブログの始めに一番似つかわしい挨拶は「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」のどれなのか。恐らく「こんばんは」だろう。
現代社会、特に日本。
あまりに夜が長すぎるように思える。
例えば学生、LINEやTwitterに勤しみ時を忘れて夜に沈み込む。
例えば社会人、お金の出ないサービス残業に勤しみ夜に溺れる。
日本人全体としての夜が長くなっている。
だから、「こんばんは」が一番今の日本で書くブログに最もふさわしい挨拶になるのだ。

こんばんは、k4niです。

さてと、本題だ。
僕はタイトルからブログを書くので、今日は「絵描き」に内容を沿わせて駄文を綴っていこうと思う。
ルドンという絵描きを知っているだろうか。
そう、あの「怖い絵」の人だ。
「惡の華」で知ったという人も多いだろう。




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2枚目の目のイメージはルドンの描く絵の中でも頻出している。
恐らくそんな、多少の恐怖を煽るのに事足りる地面から伸びる大きな一つ眼が彼の『イメージ』の中で占める割合が最も多い存在なのだろう。
ルドンは美を内面からくる神秘的なものと信じて、自身の自伝に「芸術とは、救いをもたらすもの、神聖なもの、最高の影響を人に与えるものです。花をひらかせるものです。」と言葉を残した。
彼は眼という彼にとって一つのイメージの源流を元にしつつ、自身の芸術に対する考えや、意識を絵に残したのだ。

次にこの絵を見てもらいたい。
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人類史上最も多才であるとされるダ・ヴィンチの絵だ。
彼はもともと博学者である為、ここで“絵描き”という言葉で縛って紹介するのには、多少腑に落ちない部分があるが、彼の残した数々の美術品(ここでは絵)は、絵描きであると言っても差し支えの無いものである為、ここでは絵描きとして紹介したいと思う。これは予防線だ。
彼は「手」に重きを置いている。彼の残した数々の作品には、多く、手が描かれている。
彼の手には表情があり、そこに“彼の伝えたいイメージ”が表現されているのだと僕は思う。
つまり、彼は「手」という自分を占める大きなイメージがあり、また、それを元にしつつ自分の意識を残したのだろう。もしかすると、その程度のものではなく、もっと難解で、常人には理解し得ないものの表現が為されているのかもしれないのだが(笑)


ここであげた著名な芸術家2人にはある共通点がある。
僕が「やさしい国語の教科書」のように、対比させるようにそれを強調したために、分かり易いとは思うのだが、それは『自分の中を占めるイメージに沿わせて自分を表現している』ということである。
元来、絵描きは「描きたいものを描く」ものである。
そこに一切合切の才能の有無の関与は許されず、誰も批判的な発言は出来ない。してはいけない。
確かに、多少の才能は絵描きとして成功するかどうかには関わってくるのかもしれないが、「描きたいものを描く」という本来の約束からは逸脱しており、またそれは“絵描き”を語るのとは違う話になるのだろう。
つまるところ絵描きは「自分の伝えたいことを絵を媒体として世間に伝える存在」である。
この「自分の伝えたいことを世間に伝える」というフレーズ、ある程度の学がある人であれば、どこか我々に似ていると言えることは自明の理であるだろう。

インターネットが伝播して、もはや皆がネットを介しての繋がりを持っていると言っても過言では無い現在、我々も「自分の伝えたいことを文字を媒体として世間に伝える存在」という捉え方をすれば、ある種の“絵描き”だと言い得る。
文字と言っても、古来の伝統的なものとは相違であり、非感情的で機械的なものだ。
TwitterやLINEでの言葉は、今や「芸術家の絵」と同じ力を持っている。
そんな僕も“ブログ”という絵を媒体として伝えたいこと(ここでは“皆が絵描きであるということ”)を伝えており、“絵描き”である。

皆が、絵描きの現代社会では、意識や価値観の違いからのぶつかり合いは必ずしも不毛なものであるとも言い難いが、「自分以外の人も自分の伝えたいことをを伝えているのだ。」と考えれば、そんなぶつかり合いも減り、快適に過ごせるのだろう。
「快適なんざ俺には関係無い。他人とぶつかって俺は生きる」という人もいるだろう。それでいい。快適を求めない人もいる。
人はみな人とは違う。
それを認め、広い視野を持つことこそ、今、我々“絵描き”に求められていることなのだ。