現在はアキレス腱断裂から1年経過
同じ轍を踏まないための記録です

 

テーマ:アキレス腱断裂(保存療法)
(左足:断裂から57日め~63日め)
ギプス6週間生活⇒終了

断裂から9週め・装具3週め
 
…あまりメモってないし…滝汗
ぐうたらシスコンだしで恥ずかしい週
 
あの頃は(ハッ!)
・両松葉杖で歩行
 松葉杖が無くてもなんとか歩ける
 でもAIBOレベルの歩みなので、
 安全な移動のために使う
 
・平日は午後から出社させてもらう
・会社の最寄り駅⇔会社
 行きは徒歩、帰りだけタクシー
 (9週めのタクシー代:1,600円弱)
 
・装具:就寝時も着けていた
4週めに睡眠シュート事件があったので
ベルトを緩めて着けっぱなし生活
 
・その他
右足のアキレス腱炎が完治しない…
(リハビリが遅れた原因の1つ)
 
ちなみに…今、お困りの方は
テーマ:ふりかえり・まとめ
こちらはもっと先まで書いています
よろしければご覧ください
ウインク


サッカー サッカー サッカー

■57日め ビビリーいち◎
・実家を出て駅まで徒歩9分(通常5分)
 電車は最初から座れた
 会社の最寄駅から徒歩15分でビル到着
 (通常10~12分)
徒歩で通勤中に衝撃…ヤバい?
 バンッというかボンッという感じ
 左斜め後ろから蹴られた感じだった
 (誰にも足を蹴られていない)
 衝撃の強さは断裂の時よりだいぶ弱い

 

・今のところアキレス腱のあたりに

 凹みは無いと思うけど…滝汗
 大丈夫なのか気になりながら仕事
・100均のかかとパッドをあてるなどで
 仕事中に装具を2回つけ直す
 ※もっと早くソルボヒールを使いたかった!
・昼食はセルフサービスの店
 
・翌日の有休申請をする(弱っ)
 痛みはないし歩けるものの
 今朝の衝撃から足の感覚が心もとない
 つながりかけたのに再断裂…?
 いやまさか…みたいな感じで
 不安が脳内をグルグル
ゲッソリ

・帰りはタクシーで会社の最寄駅へ
 電車は途中から座れた
 率先して譲ってくださる優しい母子に
 感謝感激だった
・両親は旅行、妹が夕飯を作ってくれた
・24時過ぎからゴロゴロ

■58日め 貴重な有休をゴロゴロ過ごす
・710アラーム
 妹を起こすために2階まで上がる
 (松葉杖を使ったかはメモ無し…苦笑)
・病院に行こうか迷ったけど
 家族不在&平日で頼るあてなく
 移動が大変なのでやめた
チーン

 ※病院に電話するという発想もなかった

・恐る恐る底屈や背屈はできる

 

・録画を見ながら夜までゴロゴロ…

・妹にカリカリされたから寝室に避難
 (多分ちょっかいかけてウザがられた)
 ※あえて恥を晒すセルフドS
ニヒヒ
・24時くらいからゴロゴロ…

■59日め  休日・膝の弱さに落ちる
・710アラーム
 朝ご飯…甘い香りがする
 フレンチトースト?と思ったら
 不思議な親子丼(妹作)だった
 妹よありがとう
笑い泣き

・時折、左膝が痛む…気分が沈む
 ※活動量の低下=筋力低下が原因?

 ※元々、膝の弱さがネック
 鍛え直せば大丈夫だと言い聞かせる


・昼はあるもので適当に済ませる
・夜は妹と近所のレストランへ行く

 (松葉杖が置きやすくて助かった)

・両親が旅行から帰ってきた


■60日め 休日・予約していた通院日
・8時近くに起床
・父の運転で病院へ
車9:30受診
 57日めの朝に衝撃を感じたことを
 伝えたら医者がうろたえていた
 “おめーが動揺すんなよ…
むかっ
 なのに
靴下越しの診察のみ
 
底屈と背屈を2往復しただけ
 医者「大丈夫そうです」
 1週間後から装具も杖も不要とのこと
 ろくに診もせず本当かよ…
ガーン
・病院から自宅に送ってもらう
・自宅→実家へ
 16時台でも電車が混んでいた
※その後、何もメモってない
ゲロー

■61日め ビビリー克服したっぽい
・予定より1本早い電車に乗れた
 会社の最寄り駅から歩く
 スタバに寄ってから出社
・昼食はセルフサービスの店へ
・3時過ぎに寝る

■62日め 2日続けて寝るの遅いな
・8時過ぎに目が覚める→ゴロゴロ
・10:18発の電車→最寄り駅から歩く
 やはり雑踏の中を歩くのは大変
 カフェで一息ついてから出社
・昼食は久々の沖縄料理
・3ヶ月先まで仕事の予定が決まる
・2時頃に寝る

■63日め 休日・午前は雨
・8時台に起きる
・9:55くらいからゴロゴロ
・14時過ぎに昼ごはん
 母曰わく雪が舞ったらしい
びっくり
・今更ながらアキレス腱断裂したことが
 情けなく感じてナーバスになっている
 右足のアキレス腱炎も危ういから
 気分が落ちてるのだろう
・この日のメモサボリ、後日記録

※9週めにしてようやく?
 左アキレス腱のことで落ち込む
 →でも翌朝(10週め)には回復
アップ

サッカー サッカー サッカー

■9週めを振り返って
・何か衝撃を感じても足の底屈、背屈が
 できるなら癒着が取れただけのようだ

・週の半ばに装具のパッドを
 1枚外したはずなのにまた書いてない
 よく言えば、それほど違和感なく
 次の段階に進めたということかな

・この頃の自主リハビリ
サッカー
 乾いたタオルでタオルギャザー
 セラバンドを使った底屈と背屈
 少しは、やっていたはずだけど…
 全然メモってない(^_^;)
 ※病院からは何の指導もない…

・当ブログで何回か書いていますが
 
ソルボヒールは本気でオススメです!
 (かかと用インソール)
 しつこかった右アキレス腱炎も治り
 その後の再発も無いです!

■いかにハズレ治療だったか
頭にきすぎて書いていなかったけど、
3週めのギプス巻き直しの時に、
「もうエコーとか撮らないんですか?」
医者に聞いてみたら…

医者(やはり、うろたえながら)
撮っても治り具合が分からないし、
どうにかなるものでもないので、
撮りません。」だとさ(
ハァ?ムキー)

仮に3週めで治りが悪かったら、
とっくに『陳旧性』の時期だから
手術に切り替える必要性の判断とか、
余計に手を打つ必要があるだろうがよ
何言ってやがるんだこのクソ医者💢

※でも研修医が1人いてこいつから何を学ぶの!?

※この時から担当医は「こいつ」「おめー」呼ばわり(もちろん心の中だけ)

 

9週めも「癒着」の癒の字も出てこず

他のブロガーさんの記事で
とうやら大丈夫そうだと自己判断
いる意味なさすぎな医者だった
チーン

 

仕事の研修やら試験やら

年度末に向けて忙しいやらで

転院を検討するどころではなく
他の医者(5週めに登場)も低レベルで
担当を変えてもらう気にもならなかった

※立体駐車場がある規模の病院なのに…
 いる医者が揃って役立たずって何?ガーン
※この週は電話かけなかったけど
 電話もろくにつながらない(回線1本ぽい)


■想い…
今までの人生で1番大きな怪我をして

失礼ながら、医者の無能さという

こんなに無意味なストレスを抱えるとは

思ってもみなかったムキーゲッソリ


結局、この時期に転院しなかったのは
医者以外の医療者が巻いてくれた、
ギプスの感触が悪くなかったこと
薄くて軽い装具との相性が良かったこと
その感触とネットの情報が支えだった。

 

こんな無意味な不安を抱えるのは、
この頃の自分だけで十分だ。

心底そう思うから、
断裂の治療中のブロガーさんには
度々ちょっかいをかけています
おいで
(自己満ゴメンネゴメンネ~ニヒヒ)

最初、3枚だったパッド

 

残り1枚になりました

 

無意味なメモと愚痴記録になってしまい
申し訳ありませんでした…🙇
今回もお目通しいただき

ありがとうございました!(・∀・)