リンダです。

今回は米原万里著『オリガ・モリソヴナの反語法』です。

彼女はロシア語の通訳としても活躍した方だそうですが、この小説の舞台もほぼロシアです。

著者を彷彿させる主人公の志摩は1960年チェコのプラハ・ソビエト学校に入学します。
そこで、ほめ殺しの罵倒を浴びせまくりながら生徒を指導し、その強烈な個性と抜群の指導力で学校の名物となっている舞踏の教師、オリガ・モリソヴナと出会います。
彼女には在学中に数々の謎がありました。例えば『ナイジェリア』という言葉に過剰反応を示す事、同居しているフランス語の教師エレオノーラとともに病気を理由に突然長期休暇を取った事、ソ連のミハイロフスキー大佐が学校に来た時、オリガを見てびっくりして転倒し、その1週間後に死んだ事、さらには彼女をママと呼ぶなぞの美少女の存在。。。
それから、40年後、日本で生活する志摩は、プラハ時代の伝説の教師オリガの謎めいた記憶をひも解くべくロシアへ渡ります。そこで、彼女は伝説の踊り子オリガの想像を絶する過酷で波乱に満ちた人生とその秘密を知る事となるのです。

これは、骨太のミステリー小説のようでした。

オリガの数々の謎が解かれていくたびに、志摩の周りのさまざまな人間模様が浮き彫りになり、彼女の人生をたどるにつれて、スターリン時代のソ連の凄まじさをリアルに体感できてしまう。
スターリン時代の圧政に関してはかなり詳しく資料に基づきながら描かれているのも興味深いです。
好奇心の強い読者だったら謎解きの連続&スターリン時代の凄まじいエピソードの連続で『途中で読むのをやめるなんてできない~!』となってしまう事請け合いです。
そして、この小説のまたまたすごいところは、こんなに暗くてヘヴィーな内容をもりもり詰め込んでいるのに全体的にはかなり軽いタッチでドライに、時にはコミカルに、読みやすく話が展開する事です。
これは作者の性格とかがかなり関係しているんじゃないかな~?
さらに、ちょいちょい作者の実話ももりこまれたりして、それを探すのも面白い。
バレエの話に及ぶところでは、これは明らかに○○バレエ団の○○○代だろう、というちょっとしたゴシップ的な面白さなどもありつつ。。。

ぐいぐい読ませるその文章力。ミステリー小説のようなのに、骨太の大河小説でもあり、最後には確実に感動できる壮大なドラマ。

これは、デュマゴ賞とりますよ。

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

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ぜひ読んでみてね♪

久々に秀作を読みました。

sujaです。




初めての回は、ありきたりの展開ではありますがやはり自分が一番読み込んでいる作品にします。




三島由紀夫は、私の中で唯一日本語が認められる作家。言葉の専門家や博識なお年寄りなどに言わせると、方言や時代考証的におかしな言葉遣いは多々あるようですが、ガリ勉エリートにありがちなプライドの高い完ぺき主義ぶりで隙の無い日本語能力を発揮していると思います。




そして、この人の作品を読んで毎ページに感じるのは「行間を読ませる」という所業。行間を読みながら、ゆっくりゆっくり一行一行読みこんでいかねばこの人の作品はただのとっつきづらい言葉の羅列です。


そういった意味で本当にこの人は真のガリ勉といえるのではないでしょうか。


賢くて柔軟な思考を持つ人は、誰にでも分かりやすい平易な言葉で文章を書くのを得意としますから。大江健三郎や太宰治はその好例ではないでしょうか。




毎度疲れてしまうのは、さらりと読んだだけではなかなか情景が浮かんでこないこと。それもこの人の言葉遣いゆえでしょう。分からない単語だらけ、という方も多いかもしれません。でも辞書をひきひき、漢字の情感を味わい、一文字ずつゆっくりイマージュの世界に繰り広げていけば、あなたは他の作家の本では味わえない濃厚な読書感を味わうでしょう。




ただ、私のような言葉好きはそんなことに時間と労力を割けますが、読書を娯楽と捉える人には三島由紀夫はどうでもいい作家の1人かもしれません。「なんか1人で勝手に難しく考えて頭いいけどそれでよく分かんなくなっちゃった人でしょ!」というレベルでしょうか。それはそれで個人のご感想ですし、確かにそう見える人のほうがもしかしたら多いかもしれませんね。






さて。三島を特集したテレビ番組などで必ずと言っていいほど語られるのが、「海外からの評価が非常に高く、ノーベル文学賞の可能性があったこと。」


行間を読む作業も(これは日本の固有のものと考えます。一番距離的に近い韓国文学でもその必要性はなかなか見られませんでした。)、漢字も何も関係ない、翻訳版を読んでいる外国の人がなぜミシマを崇めるのでしょうか。




ここでやっと本題です。そしてそれは当然私が三島を読む大きな理由のひとつです。




彼は、私たちが普段気づかない振りをして生きている心の恥部、心の澱を描き出す勇気を持っている作家だからです。その点において三島の文学には偽りがありません。彼の作品によって描き出される感情は、そう、自分も確かにあの日あの時感じた恐ろしく残忍な感情と全く同じではないか。嫌々そう認めるしかない部分が多く出てきます。私はそこで自分の心の中の澱みを渋々直視するのです。






「金閣寺」は、その色合いが最も濃く描き出された作品と言えるでしょう。




(※この先はネタバレです)






浮気し夫を欺きながら不幸な未亡人を演じ、息子に自分の自尊心を満たさせようとする母親。


それに気がつきながら真っ向から反論をできず、周囲に対する心の中の憎しみが恐ろしいほどに膨れ上がる主人公吾市。


また、足に障害を持つ不良クラスメイトの、障害を武器にしたしたたかさとそこに潜む卑屈さ。(このテーマは今の時代は特に書き辛いでしょう)


私利私欲にまみれながら、表面だけの気高さを保とうとする薄い人間性の住職。




その1つ1つが、自分の心の中に潜むヘドロと非常に近い臭いがするのです。


彼らの心を覗き見し、硬い言葉の羅列から情景を描き出す作業に成功すれば、最後あなたは吾市とともに金閣寺を燃やしているはずです。


丁寧に読み込まないと、「なんで金閣寺を燃やしたの?訳分かんない。」で終わりの小説です。


ただ、「訳分かんない」となっても別に人生では別に損はしないと思います。


私のような好き者だけが三島の本をしみったらしく甘噛みしているだけのことですから。




金閣寺 (新潮文庫)





最後に2つ、補足です。




・三島文学は非常に映画化しにくい。


 →心の中の葛藤部分が描き出されすぎていて、セリフや所作で感情を表現することが主の映画では正確な部分が伝わりにくいのでしょう。こちらの「金閣寺」を映画化した市川崑監督の「炎上」では、登場人物を増やす、原作にない場面を追加するなどしてそれを補い、結果として原作とはまた違う作品となっています。




・心の澱だとか、暗くウダウダ言ってる作品なんか読みたくないけど、三島は読んでおいたほうがいいのかな、という方は、なぜだか明るい「潮騒」か、エッセイ的ですが「三島由紀夫レター教室」などお勧めです。




三島由紀夫レター教室 (1968年)







潮騒 (新潮文庫)








次回はもう少し短く書きます。


字が多いブログは読む気を失せさせますので。


そういう意味では「きっこのブログ」ももっと集約してあればいいですね。






では。