~55歳から、-20歳でいきいき着物ライフ~          日本所作協会 インストラクター しぐさ美人 大阪紬       【大阪/京都/奈良/オンライン】  大阪紬 稲田康子

私のことはこちらをご覧下さい『私の世界観まとめ』マイストーリー 1~50 まとめました。 「しぐさ美人メソッド」を学んで変わったこと ①~③ まとめ 「しぐさ美人メソッド」を学ぶ時に勘違いしていたこと…リンクameblo.jp

 

 



 私がなぜ日本所作協会に入ったか ①


着付けとの出会い

 

 中学生の頃、謡曲を習い始めました。 



   私の左隣が父です。当時40歳位。若いですよね。



謡曲と言っても、

当時の友達は誰も知らず、

私もなんかよくわからなかったけれど、

厳しかった父に言われるままに、

祖母の年代の方々と一緒に学びました。



発表会に行くと、当時中学生の私は

皆さんのマスコットガールのように

可愛がってもらえたので、

それも少し楽しくて、

それから大学生の頃まで

なんとなく続けておりました。


大声で歌うことが、

楽しかったのかな。

私の声が大きくて

よく通る様になったのは、

謡曲でお腹の底から

声を出していたからなのかも

知れません。



その時によく

着物を着せてもらったことで

着物が自分にとってとても

身近な衣装になっていましたが、

自分で着るなんてことは

思ったこともありませんでした。



着付けは特殊な技術を持っていないと

着せることができないのだと

思っていました。


着物は、もっぱら美容室で

着付けていただいて

結構ギューギューに

締められていましたが、

それが当たり前なのだと

思っていました。



大学生になって

京都までの通学に2時間半かかり、


また、サッカー部のマネージャーに

なったこともあり、

なんとなく謡曲への意欲が薄れ、

お稽古をサボりがちになり、

とうとう辞めてしまったんです。



迷わずに、続けていたら

今頃どうだったかな〜なんて、

思ったりしています。



   長野県菅平での合宿の様子。40年も経ってみんな様変わりしているので、誰かはわからないかと思うのですが、許可をもらっていないので.とりあえずボカしました🤣




そこから、初詣程度しか

着物は着なくなり、

銀行員として働き始めた後は

たまにある、同僚の結婚式に袖を通す

だけとなりました。


よく祝辞を頼まれたりしたのですが、

その時は 必ず謡曲を一節

歌わせていただき

喜んでいただくことも

多かった様に思います。



  友達の結婚式で、祝辞を述べた後は、お決まりの高砂をうたっておりました。



27歳で結婚することになって、

持たせてもらった着物は

箪笥二棹。


もちろん.新しいものだけではなくて、

母の着物を、祖母が

仕立て直してくれたものも

数のうちとか言って、ぎっしり。



自分で着られない。

畳めもしない大量の着物は、

いつのまにか母家の2階の物置に

追いやられてしまうことに。

 

 

そして、数年経ち、

身内の葬儀に着ようと

喪服を出してきた時の衝撃!!



なんと、黒い喪服全体に

白いカビが…



即、カビ取りに出したものの、

衝撃感は半端なく。



風を通すことの大切さを

実感し、せめて着物を畳める様に

なりたいと思っていた矢先に

知った、自宅で学べる

マンツーマンの着付け教室が

あるとの案内に惹かれ、



まだ3歳だった次女を

レッスン中に預かってもらえる様に

義母に相談して、

着付けのレッスンを始めたのが、

約22年前になります。 






そこから、

着物の世界にはまった私。



どうなっていったのでしょうか。




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