「先生になりたいな」 という夢が
「英語の先生になりたい」に変わりました
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《マイストーリー》 27
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《マイストーリー》 28
暗黒の中学時代
テレビも取り上げられて
中学時代の私。
約60年生きてきて、一番暗く記憶が定かでない😅
塾通いをしていたため、放課後に友達と遊ぶことがほとんどない中学生でした。
ただ、行き帰り一緒に登校する友達はいました。
なのに、今、彼女とずっといっしょにいたきっかけを、全く覚えていないんです。
そして、中学を卒業したあと、そのまま就職した彼女とは一度も会っていないんです。
冷たい? そうですよね。
色んなことを話もしたし、たまにある休みには家にも行き来したりもするほど、仲が良かったのに、、、
何故だったんでしょうか。
まず、彼女は高校に行かずに、大阪市内のあった雑貨店に就職したこと。
『勉強も嫌いだし、高校にはいかない。母子家庭なので、早くお母さんを助けてあげたい。」と、固い意志を持ち、中学で斡旋された職場に面接に行き、仕事を始められることに喜びでいっぱいのようでした。
私は、「働くとは程遠いお気楽な高校生」。
親にすべて頼ることが当然の生活でした。
卒業後、新しく始まった環境に二人とものめりこみ、気が付けば全く連絡を取れなくなっていました。
今のように携帯電話で直接の連絡先が分かっていたら、また関係も変わったのでしょうか。
そんなマミちゃんとの思い出。
年少時代を書いたブログの時に、父のことを少し書きましたが、父はとても厳しく、頑固でした。
家族を自分に絶対服従させる人でした。
そして、反抗期に入ってからも、私はかなりそれを守ってきました。
中学三年生になったとき、父は
「今日からテレビを納屋に片付ける!!」
宣言したのです
当時山口百恵さんのドラマ「赤いシリーズ」が大沸騰中!!
中学校での会話も、その話題で持ち切り。
その会話に付いていけないし、何より 山口百恵さんと、三浦友和さんの大ファンであった私は、我慢ができませんでした。
私が取った手段は、、、
塾帰りに彼女のところに寄って、テレビを見せてもらう
でした。
母には、マミちゃんのところでテレビ見せてもらってくる!と伝えました。 が、父には完ぺきに内緒。
父は当時順調だった仕事が忙しく、夜勤をするようになっていましたので、塾から私が戻る時間には工場に行って留守でしたので、バレルことはありませんでした。
バレさえしなければ、父に叱られることはないことを学んだのはこの頃からでした。
家族に隠して、色んな悪事を働くようになって行きました
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しぐさ美人メソッド 公認講師
大阪紬 稲田 康子