一人でいることの心地よさを
なんとなく知った6歳
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《マイストーリー》 11
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《マイストーリー》 12
母の思惑は...
小学校に上がる前の大きな出来事を忘れていました。
母は、結婚しようとするとき、いくつかの思惑があったそうです。
実家がお商売をしていたので、お金の出入りも浮き沈みがあり、また手伝いをしないといけないので、
✳︎お商売してはるところは嫌だ。
✳︎毎月決まった収入があるサラリーマンがよい。
✳︎舅、姑のいない気楽な家がいい。
✳︎住む家がちゃんとある。
✳︎土地があるなら、田んぼくらいなら手伝う。
と言う、まさに今時の20歳だったようです
当時、流行っていた「シェー」
ところが、結婚6年目、弟が生まれ、私が幼稚園の年長さんになった頃、母にとっては『それはないやろ〜」と思う出来事が起こります。
父は、高校を卒業してすぐ伝手で銀行員となりました。
外交員として、あちこちの取引先を回っているうちに、ある社長さんと懇意になり、勧められるままに、銀行を辞め、工場経営をすることを決めて戻ってきました。
なんでも、高卒の父は銀行の中では、やはり出世が頭打ちになることを知り、自分で頑張ればテッペンになれる道を歩みたかったのだそうです、
母は、実家の両親にも説得を頼み、説得してもらいましたが、父の硬い決心には、太刀打ちできません。
そして、白井伸線所なるものを始めたのです。
母は、あえなく、町工場の奥さんとなりました。
私はスーツの父の姿はほとんど知りません。
いつも油で真っ黒に汚れた父の手を見て育ちまし
た。
時代は高度成長期。頑張れば頑張るほど伸びる時期。
父の思惑通り、会社は順調に成長していきました。
そして、テッペンを目指す父の野望は留まるところを知りませんでした。
あれ? 父はスーツ姿だ
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泣きたくても泣けない
甘えたくても甘えられない子供
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《マイストーリー》 13
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しぐさ美人メソッド 公認講師
大阪紬 稲田 康子