過去記事より掲載しています
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- 神想観(瞑想)
◎ 私はこうして祈る
◯ 疼痛(とうつう)をなくすための言葉
相手が激痛で七転八倒しているような状態にあるならば、それを見て、自分が自己の心を動播せしめてはならないのである。自分の心が動揺すれば光明思念が完全に行なわれないのである。
この場合、次の如く思念する。
「神はすベてである。神は円満完全であり、神の中に不完全なる病気や激痛は存在しないのである。だから、この激痛はけっきよく夢にすぎないのである。それはあるかの如くあらわれているけれども、真に実在するものではないのである。人間は神の子である。神は霊であるから人間もまた霊的実在である。霊は傷つくということも、苦しむということも、病むということもない。霊は常に平和に満たされている。神はー切のものを善に創造したのである。
神の法則の世界には神のー部分であるところの他のなにものかに傷つけられるということはないのである。宇宙のー切の事物は完全にたがいにー体であり調和しているから、どこにもどんな不調和もあり得ないのである。彼はいま、平和と健康と完全と調和とに充たされている。ありがとうございます。ありがとうございます」
◯ 肺結核その他あらゆる病気の治病のため
細胞精神に向って話しかける治療法がある。肺結核の場合もそうであるが、人体はみんなどんな部分でも細胞でできているのであるから、この祈りの方法を各所に応用すればよいのである。
だから、ひとり肺病だけでなく、中風なら脳細胞、全神経細胞、血管細胞に向って、この通りに宣言すればよいわけである。
細胞にはやはり「心」があるのであるから、そして「心」がそれを媒介として働く「雰囲気」をもっているのであるから、細胞は生きているのであり、吾々から放送する想念を感受することができるのである。だから、吾々は細胞に向って想念で話しかけることができるはずなのである。
「肺臓の細胞よ、汝は神の子である。死物ではない、霊である。霊的存在である。だから、物質的病気にかかるはずはないのである。汝は神の子である。生命である。霊である。霊であるから金剛不壊(こんごうふえ)である。寒さや、湿気に冒されたり、種々の細菌に冒されにりするはずはないのである。汝は神の子である。永遠に老いないのである。だから汝は健康である。病気だと思っているの汝の心の迷いである。迷いよりさめて、覚(さと)って自己が神の子ですでに健全なることを知れ」
谷口雅春 著 「私はこうして祈る」健康(病気)篇より
* 実は私し11月1日の夕方からお腹が痛くなり、痛みはほっておけば消えていくと放っていましたがますます痛くなって結局救急車で運ばれた次第です!総胆管結石症、去年から生死の境をさまよい一命をとりとめ奇跡的に助かり、「生命の實相」に助けられたのを実感しまして、一人でも救われて欲しいとこのブログを立ち上げた次第です。私は元来健康で病気は風邪をひくくらいで又「生命の實相」で30代の時奇跡的体験して救われていますので、病気は無いと書いてありますので病気を馬鹿にしていました!笑!
今回も薬、病院、食事療法からも解放されていつの間にか昔のまま食べたいものを食べたいまま食べる喉元過ぎると何とやらで、それで再び入院です。点滴で痛みはやわらいできましたが鈍痛はありましたがいつの間にかグッスリ眠ったようで朝スッカリ治っていました。血液検査も大丈夫と言うことで午後退院する事が出来ました。昨日は胆嚢を切ると言っていたのが、2週間後検査して様子見ましょうとなりました。
久々に病気の苦しみを思い出しました!痛い、辛い、苦しい、感謝?助けてだけです!笑!現象的にはもう仕事もしてないのに、若い人と同じような食事して、やはり年相応、カロリーもそんなに入らないのだから考えないといけなかったようです。
精神的にはいつの間にか助けられた事も忘れ感謝を忘れ不平、不満が色々とありました!もう一つはいつの間にか生活も規則正しく、特に生命の實相の通りというより、いつの間にか「ねばならぬ!」になっていたようです。勿論初めての方は一度徹底実践しなければなりませんが、長くやっていますととらわれるようになります。
善にでもとらわれてはいけませんと書いてあります。自由自在です!笑!医学博士の徳久先生はよく、「握ったり、放したり」ですよ!と言っておられました。実は今月お墓まいりを予定して3ヶ月前から航空券を買っていましたが、全てキャンセルしました!又キャンセルもギリギリのところだったのでしょう?診断書出すとお金全額戻りますというので手続きしました。ホテルも全てキャンセル料なしでした!笑!ああ!感謝、感謝ですね!