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(2)  神想観による癒しーメタフィジカル・ヒーリング

 

 

つづき

 

 

 

○ 特に癒さねばならぬ病いのある時ー肉体の実相化

 

 

 

特に癒さねばならぬ病いのある時は、静かに坐して、暝目し、招神歌をとなえ、「実相を観ずる歌」を黙誦し、心に人の実相なる「完全人」を描いて、人の全存在-頭上より足の爪先にいたるまで、全細胞ーがことごとくこれ水晶のごとく清浄玲瓏(しょうじょうれいろう)たる霊的実在であり、最高純化の極致に到達せる宇宙霊の精髄のごとき純浄透徹せる実在であると観ぜよ。

 

 

 

かくの如くして、身体のどこにでもあれ病める局所を霊化するのです。かくのごとくすれば忽ちその不完全な局所は癒えはじめるのであります。

 

 

 

ひとの身体は神なる実相なるが故に完全であり、どこにも少しの不調和もないと念ぜよ。

 

 

 

貴方がこの部分に健康が得たいというその局所に、至微至妙(しみしみょう)完全なる霊的実相ありと観じ、この実相を心の眼をもって凝視し、病める局所の存在感を消尽してしまうのであります。

 

 

 

各人の肉体は人間生命の実相を幾パーセントまで完全に知ったかの程度に従って、その人各々の観念を反映しているのでありますから、如何なる肉体の箇所でもこの霊化の方法をいよいよ深め行くときは、その局部に至上なる実相の力が発揮される。

 

 

 

かくする時は闇が光に消されるように肉体のあらゆる不完全状態、病的状態等はおのずから消滅して行くのであります。人の治療をしてあげるのも自己の病気を消すのも同様に観ずれぱ好いのであります。

 

 

 

肉体は、断食や、その他自己否定的な修行では実相化する事は出来ないのであります。肉体から物質的なものを除り去っても、肉体を霊化さすことは出来ないのであります。

 

 

 

肉体を霊化するのは、ただ自分の念を霊化し、自己を霊的実在だとの念を常に把持(はじ)することのみによってであります。

 

 

 

自已の存在の実相が霊であるということを一層完全に知れば知るほど吾等は愈々(いよいよ)ますます全体を霊化することが出来るのであります。だから自然に嗜好(しこう)が変って物質的な嗜好が剥落(はくらく)するまでは肉体的存在を楽しませ、これに美を与え、これを豊富にするところの何物をも全体より拒む必要はないのであります。

 

 

 

外界に属する一切の善きものは一物として除り去る必要はないのであります。自己否定的な一切の行法は「生命の實相」ではとらない所であります。

 

 

 

肉体のいずこの部分にせよ、その形を維持している念の力に変化が起りますれば、その部分の肉体的状態が変化するのであります 。

 

 

 

吾らの肉体に病的状態があらわれているのは、吾らのその部分に関する念が病んでいるのでありますから、その部分を実相の念に滲潤し目覚めしめればその瞬間に肉体は変化し始めのであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著 「生命の実相」