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過去記事より掲載しています

 

 

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② 運命は改善できる

 

 

○ 昨日の終わり

 

これによって考えると、自己の運命の前半は、過去世の業(過去の生まれ変わりの世代での業績)で決定されるのであるけれども、自分の運命の後半は今世に生まれてからの゛心の持ち方゛や行いの仕方、人のためになる事をどれだけ心がけてしたかの自分の努力によって決定されるのである。

 

しかしながら「稼ぐに追いつく貧乏なし」という諺もある。急激なインフレや不景気などの社会情勢の中にあっては人間の努力だけではどうにもならない、いつまでも苦しい運命に追い込まれたままで、それを耐えしのぶよりほかに道がないようにも思われる。

 

そこで人間の努力の及ばないところに、゛神゛又は高級霊の援助又は加護を必要とするのである。人間の運命の半分は前世の業績、残りの半分の1/2はは自分の努力による業績で、残りの半分の、もう1/2、神又は高級霊の加護による運命の改善又は修正によって、もっと不幸になる筈の運命が救われるということになるのである。

 

 

 

つづき

 

 

○ 事件の霊的パターン 

 

 

自動車が衝突して人が死ぬとか、子供が電車に轢(ひ)かれて死ぬとかいうことが予言され、それが的中することがあったり、夢に見た通りの光景があとでその通りに一分一厘ちがわずにあらわれるという事がある。

 

 

 

現実世界にあらわれる事象は、それ以前に(車の大小軽重によって、重大な事項は随分幾年も以前に、時には幾百年も以前に、小さな事件は数日又は数時間以前に)霊界すなわち゛心の波動の世界゛に於いて、その模型又はフィルム又はパターンが出来上がっていて、そのパターンに従って各事件が現象界にあらわれて来るのである。

 

 

 

『古事記』にある象徴的予言などは重大な世界的歴史の流れの根幹を予告したようにあらわれたりするのであるが、小さな事件で、子供が電車に轢かれたりするのはその霊的パターンが数日前につくられたりする。従って数日前に夢見た通りに、数日後にその通りの光景で子供が電車に轢かれたりすることがある。

 

 

 

ベルギーの文豪メーテルリンクは、晩年心霊現象に興味をもってその研究に関する著書も発表しているのであるが、拙著『生命の実相』の実相篇第四章「心の世界における運命の形成」の中に、その著書『未知の賓客』にある次のような事実を引用して掲げている。

 

 

 

 

「或る若い機械職工は十一月はじめに次のような夢をみた。すなわち彼が午後の五時半に家に帰ってみると、姉の小さな娘が、家の入口の前の街路を横切ろうとして電車に轢かれているのを見た。

 

 

 

彼は非常に心配して、その夢を家人に語った。しかるに同月十三日に、できるだけ警戒をしていたにもかかわらず、その少女は予言された時刻に避けがたく電車のためにひき殺された」

 

 

 

 

 

○ 運命の模型の修正

 

 

 

『生命の実相』の中には、まだいろいろ、予言的夢に見た事実の実現や、催眠状態中に予言された通りの事実が現実化して出て来た事実や、さらに欧州大戦の勃発及び、その戦争中に起るいろいろの事実の予言の的中などが引用されている。

 

 

 

何故このように、現実にその事件又は事象があらわれる以前に、夢や催眠状態が―換言すれば人間の潜在意識が―将来起る事実を知ることができるのか。それは、現実世界以前の世界に「すでに在る」からこそ知ることが出来るのであると『生命の実相』は結論しているのである。

 

 

 

だから、来るべき災厄を避けようと欲するならば、それがまだ現実世界以前の世界―換言すれば゛霊の世界゛又は゛心の世界゛―にまだその事件のパターン(模型)があるうちに、そのパターンを修正しておかなければならないのである。 

 

 

 

ところが不幸にして肉体人間は、物質の世界、肉体の世界にある事物だけを知覚するようにつくられているので、゛霊の世界゛や゛心の世界゛にある模型を修正することができない。それだから、いくら現実世界だけで警戒していても、その運命を修正することが出来ないのである。

 

 

 

自己の来るべき運命が、たとえ予知されたにしても、予知された凶運が人間自身の力で修正したり回避したりできない限りは、予知されない方が、恐怖で苦しむ期間が無いか、又はすこぶる短くて済むわけである。

 

 

 

それだから、星占いや卜筮者(ぼくせいしゃ)に自分の運命をみてもらって悪い運命を予告してもらうなどということは愚かな事だといわなければならない。

 

 

 

予告されたその凶事が、たとえデタラメな易者商売の当てずっぽうであるにしても、予言してもらった人間は、それが凶事であればあるだけ、それを恐れて、その事を想い出さずにはいられないのだ。

 

 

 

しかし「強く心に描くもの」や「繰り返し心に描くもの」が゛心の世界゛につくられて、やがて現実世界に映って来るのであるから、当てずっぽうの予言が的中するということになり兼ねないのである。

 

 

 

実際ある宗教の予言的おどかしで恐怖していると、その通りの不幸が出て来て益々恐怖している人々があるのを私は知っている。

 

 

 

 

 

○ 高級霊による霊的原型の修正

 

 

その予言がデタラメであろうが、実際その予言者が超能力をもって、すでにその来るべき運命の霊的原型を直感して得た予言であろうが、それが凶運である限り、その運命を修正したいのは何人も同じ願いであると思う。

 

 

 

ここに運命を構成する要素の第三であるところの゛神゛又は゛高級霊゛の出動がある

 

 

 

すでに゛霊の世界゛又は゛心の世界゛には事件の原型が出来上がっているのであるから、その光景が現実世界に映写されるべく待機している運命のフィルムを、゛神゛又は゛高級霊゛によってその現実化以前に、好運の方向に修正して頂くほかには、゛凶運の霊的原型゛を修正する方法は無いわけである。

 

 

 

そのような修正をお願いすべき相手は゛神゛又は゛高級霊゛であるが、゛神゛は゛祈り゛によって心を左右されて、相手に恵みを垂れたり、恵みを与えることを差し控えたりされるような゛愛憎の念゛の持主ではないのである。

 

 

 

しかし純粋に゛正゛と゛義゛をもって立ち給う゛神゛に、われわれの心が振り向く気持ちになったときには、祈る人自身の心が浄(きよ)まる。その心の浄化の程度に従って、浄化せる心の持主である゛高級霊゛の心に、祈りの念願が達して、高級霊の加護の力が動き出すことになるのである。

 

 

 

それからの高級霊は゛霊の世界゛に住んでいるので、゛霊の世界゛に在って、まだ現象世界に移行していない凶運の霊的原型を破壊したり、修正したりすることができるのである。

 

 

 

それは、あたかも上映前の映画フィルムを点検して、その映像の゛悪い部分゛をカットしてから映画館(現象界)で上映されるようなものである。

 

 

 

それら高級霊の中にはわれわれの祖先の霊魂も含まれている。

 

 

 

それ故に、祖先霊に「真理の言葉」を供養して祖先霊が真理を一層悟り神通力を増し給(たも)うてわれわれ子孫を加護して厄難を祓って下さるように、毎朝又は毎夕、仏前又は神前で先祖霊に対してお経、または聖経『甘露の法雨』を読誦(とくじゆ)するがよいのである。 

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相」