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過去記事より掲載しています

 

 

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⑥  人生を支配する先祖供養

 

 

 

○  満中陰と五十日祭について

 

 

 

霊界の待合室は薄暗い世界である。それは “冥界(めいかい)”という語(ことば)がふさわしいかも知れない。そこに肉体を脱出した霊魂は、肉体の病臭や屍臭(ししゅう)の“移り香”の不快臭を浄化するために、ある期間滞在せしめられるのである。それを仏教では「中陰(ちゅういん)」と称して、まだ霊界のどの位置に往くベきかが定まらない期間である。

 

 

それは大体七週間であり、仏教では四十九日間とせられ、神道では死の直後より数えて五十日目とせられているのは、仏教も神道も根本的にー致していることを示しているのである。四十九日間の中陰の期間を満了すると。“滿中陰(まんちゅういん)”の法事があって生前の懇親者にお供養(満中陰の志)が配られる習慣になっている。

 

 

 

神道では“五十日祭”という祭典が行われて、冥界の薄暗い前室から解放されて、受持の高級霊の案内によってその霊魂が割当てられた幽界の位置に伴われて行き、其処(そこ)で修行することになっているのである。

 

 

 

現実世界も、幽界及び霊界も、いずれも霊魂がその本来の“神の子”の実相を研(みが)き出すための修行の“場”であることに変りはない。

 

 

 

 

 

○ 冥界の照魔鏡について

 

 

 

四十九日間の浄化の期間が終った霊魂は高級霊が霊波によって作ったスクリーンの前まで伴われて行くのである。彼はその浄化されて透明になった心で、そのスクリーンに向うと、そのスクリーンに、彼自身が生前のー生涯に閲(けみ)して来たすべての生活が、天然色映画の如くカラーテレビの如く映し出される。

 

 

 

幽界の此の前室は、もう現実世界とは時間のサイクルが異るのであるから、極めて短時間ともいうべき間に、彼自身の生涯の生活の実情を、第三者的立場に於て、それを眼(ま)のあたり見るのである。現実世界に於ては、彼は第三者ではなく、第一者として自分自身が主人公として生活して来たので、「これ位のことは別に悪でも不浄でもない」と厳重には批判することなしに我儘(わがまま)勝手次第に生活して来たのであるが、

 

 

 

今、こうして霊的スクリーンの前に立って自分のー生涯の生活を第三者として客観的に見せられると、善悪判断の規準が公正になって、「この位のことは悪くない」と思って生前に行為したことがらでも、「ああ、これも悪かった。あれも悪かった。あんな汚い行為をするのでなかった」と懺悔の心が起るのである。

 

 

 

懺悔というのは心を洗い浄めるという意味である。その懺悔の程度は、それぞれの霊魂によって反応が異って、必ずしも完全に悔改めが完了する訳ではない。過去に色々犯し来った悪業でも「悪かった!」と否定し、「再び罪を犯すまい」と反省決意すれば、その蓄積された“業”が着物を脱ぐようにー枚一枚剥落(はくらく)して空中に消えて行くのである。

 

 

 

この過去の行為のー切を照し出す霊的スクリーンを、擬人的に閻魔(えんま)大王と称し又は神話的にが閻魔の庁”の照魔鏡(しょうまきょう)と称するのである。そして「悪かった、二度と再び犯すまい」という決意と共に、悪業の蓄積がー枚一枚、剥落して行く過程を、三塗(さんず)の河の手前に“脱衣婆”がいて、亡者の着ている着衣を脱がせるというような寓話(ぐうわ)が仏教ではつくられているのである。

 

 

 

いずれも死者の霊がそこで過去の業が自己審判され、消える業は消え、消えない業はそのままに、その業の種類の善悪軽重にしたがって三塗のうちの、どれかに行くことが定められて、その霊魂は霊界での落ちつく修行場が決定せられるのである。それを三塗の川を渡るというのである。

 

 

 

 

 

○ 三途の川を渡って我らは何処ヘ行くか

 

 

 

三塗というのは“三途”とも書く、肉体死後の霊魂の行くベき“三つの途”であるからである。それは普通、地獄道、餓鬼道、畜生道、の三つの道のこと、即ち“三悪道”のことだと解せられているが、私はそのようには解しないのである。欲界、色界、無色界の三界だと解したい。

 

 

 

何故なら人間はみんな三途の川を渡って、地獄道か、餓鬼道か、畜生道に落ちて行くより仕方がないのだったら救われようがないからである。もっと立派な天国的な浄土に落ちつく霊魂もあって好い筈である。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「人生を支配する先祖供養」

 

 

 

 

★ 先祖供養する時線香たてるでしょう!

 あれは、

 

そこに肉体を脱出した霊魂は、肉体の病臭や屍臭(ししゅう)の“移り香”の不快臭を浄化するために、ある期間滞在せしめられるのである

 

とあるように、高級霊(浄化)された魂は人間の不快臭が嫌なようである。