過去記事より掲載しています

 

 

テーマ:

 

③  人生を支配する先祖供養

 

 

 

○祖母と孫娘との間の断絶

 

 

 

近頃は、親子の関係が断絶時代だといわれている。子供は親からはなれて自分の自由な生活をしたく思っている。生活様式が全然異るのである。私は最近N HKテレビの『北の家族』というテレビ劇を見ているが、しずという娘が北海道から、父親の失敗が原因で零落して母と共に金沢に住んでいる祖母の家ヘ身を寄せることになった。

 

 

 

祖母の家はその地方でも素封家(そほうか)であったと見えて、祖母は帰って来た孫娘しずに、生花や茶道を教えて旧家の娘らしくオツトリと育てたいと思う。自分の家のような旧家の娘が、働きに出るなどということは、家の格式からいっても恥になるというので、働くことに反対して、茶や花を習わせることにするが、

 

 

 

しずは祖母の考えとは反対に、働くことは立派なことで、何も祖母の厄介になって縛られる必要はないと、ある大工の二階を借りて、自分の母はるの女学校時代の友達だった医者のうちに看護の見習のような仕事を、折角、祖母が習わせてくれているお茶もお花も勝手に断って、タイプライターと速記を余暇に習いはじめたというのである。

 

 

そして事毎に祖母にとっては卑しい仕事であると思えることをするのである。祖母にとっては自分の孫娘を、こうもしてやりたい、ああもしてやりたいと思うけれども、まことに自由にならぬのが、現代の若い人たちである。時代の相異を喞(かこ)つ祖母の寂しさと、悲しさがよく出ている作品である。

 

 

 

 

○祖父母として又、父として母として

 

 

 

こんな孫娘をもった祖父母や、またそんな自分の子供をもった父母にとって、子供のそのような考え方の相違は、やり切れない淋しさであると思う。けれども父母や祖父母はその淋しさや悲しみに耐えなければならないのである。

 

 

 

現代のように戦後の思想の移り変りの激しい時代でなくとも、たとい、それは過去の封建時代であっても、若い人は、自分で独自の生活を歩もうとした。それが出来ない時には「若い男女が情死までした。或は勘当されて親子の緑を切られてその家から放逐される若い人たちもあったのである。

 

 

 

封建時代でさえ年齢の相違に基づく親と子の考え方の相違から来る悲劇というものは起りがちであったのであるから、況(いわ)んや、家族制度が占領憲法によって破壊された戦後の現代に於て、祖父母と孫との精神的断絶や、親子の考え方の相反ということが激化して来るのは当然である。

 

 

 

祖母として孫娘が生きて行こうとする道が脱線車輛に見えて心配になったり、自分の息子や娘の生活が、親の考えとはちがう方向へ向いて行こうとするのが間違のように見えるのも無理はないのである。

 

 

 

さて、そのようなときに、子供達の先輩としての老人が、またその息子や娘の保護者である父なり母なりが、その若い人たちに、どのような気持になって彼らが間違の道を歩かないように、正しく導いてやるのにはどうすればよいだろうか。それを読者と共に考えて見たいのである。

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著 「人生を支配する先祖供養」