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★ 再び霊界篇です!2017年(平成29年)9月29日に「差別心より観たる霊界の消息」ということで何回か連載で載せましたが、(頭注版生命の實相第九巻)興味のある方があるようですので、頭注版生命の實相第十巻より「平等心より観たる霊界の消息」を少し載せようと思います。

 

 

 

 

◎ 人間死語の秘密のトビラは開かれる

 

 

死とは何か、死んでから人間はどうなるのか、唯物論者のいうように、ただ単なる「灰」になってしまうのだろうか。もしそうであるならば、そこからはなんの創造も生まれず、希望も生き甲斐もない無軌道な生活があるだけです。「心霊科学」と聞くと、すぐインチキときめつける人が多いが、中には生命の永遠の不死を説いた秀(すぐ)れた学説と例証もあるのです。 本書は、欧米の権威ある実績を持つ心霊科学を紹介、霊界との密接な関係を現実生活にそくして詳解した画期的なものです。 

 

 谷口雅春著  生命の実相第9巻霊界篇上より

 

 

 

 

◯ 平等心より観たる霊界の消息

 

 

つづき

 

 

また別の日の霊界通信、彼の手の自動書記は次のように綴った。「わたしの親(した)しき子よー「お前はまた、例の気狂い的現象がはじまるだろうかと思って、溜息(ためいき)をついてお前の机に向かっている。わたしはもうここに来ている。お前は書かねばならないのだ。ほらお前は首をふった。がお前はこの手が何を書き出すだろうかと興味をもって待っている。

 

 

 

「実にただごとならぬ日のつづきだった。夢に夢みる心地なのも無理もない。しかしお前は予想以上に無関心でわりあいのんきにしている。それも不思議ではない。なぜなら、わたしがお前を守っているからだ。お前はわたしの欲するようになる。お前が街へ出かけるときに、わたしはお前に随いてゆく。わたしはお前に暗示を与える、わたしはお前を机の前に坐らす、そして気を静めさす。

 

 

 

「お前の聞いたところのことは神秘な事実だ。しかし、まだそれはお前の心を完全に捉えてしまうことはできない。お前はそんなにも無神論者なんだ。わたしがお前に神の祝福の微笑みのことを話したとき、お前の心臓はなるほどおののいたのであった。

しかしそれは言葉どおりお前の心臓がいくぶんおののいたのであって、それ以上のことではなかった。お前はまだ少しも、お前の経験した偉大な驚絶すべき摩訶不思議な現象の真相を理解してはいないのである。お前がそれを理解し、たましいの深いところで了解するようになるにはまだいくらかかかるであろう。

 

 

 

しかしそれはそれとしておこう。なぜならわたしはお前に話さねばならぬことがたくさんあり、われわれは仕事にとりかからなければならないからである。…「あまりに深く考えすぎるな。そして、わたしの邪魔をしてくれるな。わたしはお前の疑問をすべて知っている。その疑問は、適当な時期が来たときに順次にみんな答えるであろう。わたしは何ものも忘れはしない。わたしは絶対に確実な心性機関を備えている。何ものもわれわれの記憶から消滅するものはないのである。

 

 

 

一つの疑問に解答すべき適当な時期が来たときには、わたしはその疑問をお前の意識の表面に浮かびあがらせるだけである。「われわれスピリットの力の偉大さよ。いまお前は聴かねばならぬ。しかし忍耐して待て。われわれはまだ長時間仕事をしなければならぬのである。「まず第一に、わたしはお前に告げるーテーブルの傾斜現象は真実である。わたしはお前の顔を、お前の思想を読む。お前はこの現象にわれわれがたずさわることを実に恥ずかしいことだと思っている。それはお前がこの現象の真実性を信じないからである。…

 

 

 

「テーブルは踊る!そうだ。それはできるのだ。お前はそれを見、それを自分自身で体験した。テーブルを動かすのは人間の霊魂(スピリット)だ。いな、わが伴侶よ、今は、わたしはそれをやらない。だがしばらく我慢してくれ。テーブルを動かすのは霊魂であって、人体磁気でも、潜在意識でも、筋肉のはたらきでもない。それは、科学が賢くも研究してさぐり出したところのどんな他の力でもない。お前にテーブルを通じて話したのは死者の霊だ。それは遊戯(ゲーム)だ、不可解の遊戯だ。だからそれはなすことを許されるのだ。

 

 

 

やがて人間は、われわれ霊魂たちが肉体の死後生きており、幸福であることを知らされるようになるだろう。人間が数人あつまって、1つのテーブルを取り巻く、そして両手をその上に置く。するとテーブルが傾き出して、その脚がコツコツ音を立てる。これは霊魂が来て人間に話しかけるのだ。この現象の真実性をお前に信ぜしめることは、今はまだ困難なように感じる。しかしお前が、わたしがお前に話さねばならぬだけをいっさい聴いてしまったなら、テーブルが傾斜現象がたいした現象ではないが、自然な現象であることを悟ると思う。

 

 

人間はやがて、神の活在したまうことを知るようになるだろう。そしてわれわれ霊魂も生きており、われわれと話を交えることができるということも知るようになるだろう。「なぜ地上の人間が幾十世紀の間も、霊魂の死後存続ということについて知らされていなかったかという問題を、多くの人々は提出するが、この疑問に、君たちが理解しうる限りできるだけ明瞭に答えよう。地上の生活の真意義は生活することであって、この生活を捨てることではない。

 

 

 

地上の人間は生に執着し、死を厭(いと)う。死は生の抹殺であるからだ。…「人間は人間であって、生きられる限り地上で生きねばならない。なぜなら、人間の生活は地上のそれであって、そのほかのものでありえぬのだ。生には法則があり、世界にも法則があり、それは変えることのできないものだ。というのはこの法則は神の掟給(おきてたま)えるものだからだ。人間は人生に生活し、揺籃(ようらん)に始まって墓に終わるまでの間苦しみ戦う。今までかくのごとくありしごとく、これからも常にそうであるだろう。太陽は昇り、太陽は没する。日光は輝き、心臓ふるえる。

 

 

 

数千年このかた、人間は生命と人間自身と、光とこの世界と、それから理解しうるあらゆる事物とを研究してきた。人間は生命の法則、地球の軌道、遊星の運動、植物や動物の生命を研究して知ったのである。無限時間を通じて、すべてこれらのことは不変であった。人間は地上の帝王となり、彼は地的なあらゆる事物を予告することもできるようになっている。いつこの病人は死ぬか、また生理的になぜ死ぬかをも知っている。人間は、地上に群がるいっさいの事物を了解することができたのである

 

 

 

ただ知らないのは「死」とは何か?「生」の前に何があるか?「死」の後に何があるかということだけだ。これは本来人間のかかわり知る部分ではなく神の領域である。これらのことは人間には了解を絶した事柄であるから、人間から観れば神秘に見えるのだ、わたしが内々お前にこれから話そうとするこれらの問題を、お前は真には決して理解することはできないであろう。お前はわたしの言葉を説明するために、お前の人間的な知恵を使うだろう。

 

 

 

そして疑問が起こるだろう。なぜならお前は人間であって、地上世界の法則によって生きているからだ。お前は地上に生をうけたところの「生命」であって「地上」の法則に支配されている。お前の理解しうることはこの地上の法則にかなうことだけであって、この法則以外の法則に支配されている事柄を決して知ることはできないのだ。人間は「神」を真には理解することはできぬ。なぜなら人間は完全円満をつかみえぬからだ。

 

 

もし「完全円満」に達しえたならば、人間はもう人間ではないであろう。人生は過去のごとく今もあり、永劫を通じてそうであって決して異なるものとはならないであろう。(著者注)ここに書かれている「人間」とは肉体人間のことであって実相人間のことではない。

 

つづく

 

 

谷口雅春 著 「生命の實相第十巻」

 

 

 

★ いつも書いていますが霊界の事は霊界に行って勉強して下さいという事です。霊界は摩訶不思議でとらわれると大変な事になるようです。霊界が書いてあるのはいかがわしい霊媒師に騙されないためです。生命の實相、9巻10巻読んでてらしあわせれば本物かどうかわかりますのでと書いてあります。

 

こういう事を書くと誤解されるかもしれないが、小説家はほとんどが自殺していますね!瀬戸内 寂聴が私は仏門に入らなかったら自殺していたと言っています。先日小説家ではないが、保守系評論家のの西部氏が自殺されました。惜しい人です。しかしあの頭がいい人でも人生がなんたるか、肉体とは?という事をご存知なかったのではないだろうか?高級霊は地球にあまり興味を持たないようです。又神さまから見たら人間の良いとか悪いとかは、目くそ、鼻くその類でたいして変わらないようです。何が言いたいかと言うと、谷口雅春先生が書かれた「生命の實相」がいかに素晴らしい本かと言う事です。

 

総理大臣しかり、(今の安倍総理は頑張っておられます!チョットゴタゴタし始めてますが!)国会議員、マスコミに評論家の言う事を鵜呑みにしないで何が正しいかを判断して頂きたいと思います。

 

先ほど書きましたように物質は光という事はこの世も光だと言う事です。今病気の方、経済で困っている方、夫婦喧嘩、不登校、あらゆる問題の解決が「生命の實相」に書いてあるという事です。諦めないで下さい、本は買った方がいいですが、買わなくてもYouTubeで見れます。解決方法は現象的解決法と「生命の實相」による解決法があるという事です。私も散々お世話になりまして間違いないですからブログを書いています。