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生命の実相第9巻

霊界篇第一章

 

 

 

差別心より観たる霊界の消息

 

…… (途中省略) ……

 

 

(十九)

 

◯ スピリット自身はいかに「苦痛の意義」について語るか

 

 

 

スピリットが現世にある霊魂を助けるという問題に言及したー

 

 

第一、一般的には、進化のときをはやめるために。

 

第二、特殊な場合としては、各個人の苦痛を緩和するために。

 

 

レイヌは第二の場合を説明しているー「守護の霊(スピリット・プロテクター)」は苦痛を自身の上に引き受ける、この事実によってスピリット自身の進化が進められるのであると。この説明には合点の行かぬ点がある。自分にはどうも理解できない。

 

 

なにゆえスピリットは苦痛を緩和してそれを癒す医者のごとき自然なる道に出ないのか。なにゆえスピリットは癒さるべくもとめられた呼吸器病やチフスなどを癒さないで自身の上に引き受けるのか。自分はこの点についてレイヌと議論して、事情をつかむまでにおびただしい時間を費やした。彼女の理解せるところは大体次のごとくである。ー

 

 

 

かりに、スピリットが道ばたにおいて憐(あわ)れなる者(現世の人)が重荷(おもに)を背負うてこけつ転(まろ)びつしているのに出会ったとする。彼らのうちのあるものは、疲労困憊(ひろうこんぱい)に耐えかねて、まさに倒れようとしている。スピリットはそのうちの因縁ある者に近づきその重荷をみずから代わりに背負って数マイル歩んでくれる。そして憐れなる人間が息をついて精力を回復したとき、再び彼本来の重荷は彼の背に返されるのである。

 

 

 

正しきスピリットはその人本来の負うべきものを取り去ってはしまわない。憐れな人間が困難なる仕事を成就しよとして悪戦苦闘するのを目のあたり見て、チョイとその荷ををあげてやり、ほんのしばらく息休(いきやす)めをさせるだけである。仕事それ自身を削除する力はスピリットには許されない。なぜなら仕事を削除するとき進化も削除されてしまうからである。(1913年4月11日)

 

 

 

健康の問題がまたしても持ちあがってきた。そしてレイヌは憐れや、またしてもいろいろのことを肯(き)かなければならなかった。彼女はひそかに自身の痛む歯をぬきたいと考えていたのであるが、ヴェッテリニは断然これを禁じてしまった。もし肯(き)かねばひどいぞよとその威嚇(いかく)は鋭かった。ヴェッテリニは交霊会の間だけ彼女の苦痛をとってくれたが、彼女が覚醒状態に復すると苦痛をまた彼女の背に返すであろう。ヴェッテリニはいつまでも苦痛を背負っていてくれるはずはない。

 

 

 

レイヌは強く強く彼にその苦痛を握っていてくれるようにいったー「だって、あなたはスピリットです。」あなたの歯が痛む道理がないじゃありませんか。あなたの身体はどこも痛まない!だけどわたしのことを考えてください。こんな痛みを、もうこの上どうしたら耐えられましょう。…」彼女は歯痛で弱りはてていたのであるーそれで彼女は彼に切願する、憐れなる少女は泣きながら同時に笑いながらである。その光景は悲劇であると同時に喜劇である。

 

 

 

ヴェッテリニはあたかも母のように彼女をなぐさめる。しかし交霊会の終わりがきたときには、彼女は依然としてはなはだしい神経の痛みをば忍ばねばならないのであった。(1913年12月5日)

 

 

 

…われわれは現世の人の肉体的苦しみを、霊界のスピリットが代わって背負う問題について話した。ヴェッテリニはしばしばレイヌを襲う鋭い肉体的苦痛を、自分自身が代わりに受けて彼女の苦しみを救ったことがあるのである。このはたらきはどんな手続きによってできるか?またスピリットはいかにして肉体的苦痛を意識することができるか?ー 

 

 

 

これがわれわれの問である。ヴェッテリニの説明によれば、苦痛なるものは霊的流動体の不調和な振動および霊的波動の攪乱(こうらん)なのである。スピリットはこの不快な霊的波動を自分自身へ引き寄せ、その霊波の衝撃を自分に受けるのである。これらの霊的波動は須臾(しゅゆ)の間には消滅せしむることができない。それは耐えられなければならない。受けることによってそれは暫時消滅(ざんじしょうめつ)するのである。(1913年8月18日)

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相」