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生命の実相第9巻

霊界篇第一章

 

 

差別心より観たる霊界の消息

 

……(途中省略)……しています。

 

(十七)

 

スピリット自身はいかに「死の神秘」について語るか

 

 

 

昨日の終わり

 

1つの霊魂はその前生において、他の人間の批判には関係なしに一定の進化を遂げる。いわゆる審判廷なるものがある時は、必然に人間的要素が入り込むのである。では、この霊界の審判廷ースピリットの設立した法院ースピリットたち自身の考案で設けられた裁判廷ーはしたがって弁論に付せられるものであろうか?それとも、それはいっそう高い法則の機能であろうか?

 

 

つづき

 

ヴェッテリニの答えるところによればー何よりもまずわれわれは、地上の世界の関係を言い表す言葉で霊界の生活状態を説明しなければならぬのだということを念頭に置いてもらわなくてはならないのである。

 

 

 

現世の人間の言葉で霊界の生活を言いあらわそうとするとき、混雑やまちがいの起こるのはやむを得ない。さて霊界の審判は、われわれの言葉の意味するような意味では、白色のスピリットの宣告する判決でも、有罪無罪の宣告でもないのであるーそれはまったくちがう。

 

 

死後肉体をはなれて帰幽せる霊魂は、これら高級なるスピリットの前に、生前いかなる生活をなせしかについての責任を自覚せしめられるために連れて行かれる。帰幽の霊魂の階級別けを生ずるのは、その時生ずる霊魂自身の良心の審判によるのである。

 

 

換言すれば、新参の霊魂が白色のスピリットの前を通過することは、ちょうどわれらが鏡の前を通過するに等しいのである。彼はその時、自己自身の本当の相を自覚するのである。

 

 

地上の生活とは全然異なる状態をわれわれは理解することは不可能であるがために、霊界の生活の秘密を闡明(せんめい)することは困難なる問題である。しかしヴェッテリニはなおいっそう十分なる説明を後の機会に与えることを約束した。われらはまたねばならない。(1913年2月21日)

 

 

「死」の一般的問題について自分はまたたずねた。ヴェッテリニは説明を単純化するために進化の程度を四段階に分けて、これらの各段階の霊魂が地上の生活から霊界へうつり行く状態を説明してくれた。

 

 

 

第一階級ー最低級ーこの階級の霊魂は自己の宿っている肉体を最後の極度まで使うのである。その霊魂は自己の機関とする肉体に言葉どおりしがみついているのであって、この階級の霊魂を肉体から引き離すためには、時として霊界のスピリットの干渉が必要であるのである

 

 

この階級においては、死後少しも意識をもっていない。かかる霊魂は地球の低い雰囲気内をいわば「昏睡」の状態でなまくらに彷徨しながら、次なる生まれかわりの時期を待つのである。

 

 

 

第二階級ーにおいては、肉体を去って帰幽せる霊魂は霊界のスピリットの群れによって迎えられる。これらのスピリットたちは帰幽の霊魂の意識を目覚めしめ、その責任の観念を喚び起こそうとするのである。彼らは帰幽の霊魂の能力に応じて死の現象のなんたるかを理会せしめようとするのである。

 

 

かかる帰幽の霊魂が今度生まれかわってこの世にでる場合には、前なる生涯においてしたところの生活ーそれが善であろうと悪であろうとーの反動的生活を営もうとするのである。そしてこの反動的生活を通じて彼は自己の責任感の幾分をあらわにするのであろう。

 

 

第三階級ーの帰幽の霊魂においては、すでにある程度の意識を発達させている。彼は責任を知っている。それは帰幽の前においてさえも、睡眠または昏睡状態中すでに、自己を待っているところの霊界の状態を予見することができるのである。死に面してその人が一定の態度ー恐怖ないし平安ーを示すのはこの予見によるのである。

 

 

 

すなわち睡眠または昏睡中の予見にもとづいて、意識が昏睡から覚めたときに漠然たるそれとなき予感におそわれるのである。かかる霊魂がいよいよ肉体をはなれて、霊界の案内者に導かれて白色のスピリットの居並ぶ前につれ行かれれば、彼は自己の過去の生活をスッカリまざまざと意識せしめられ、その責任を感ずるのである。

 

 

 

この程度の進化状態においては、帰幽の霊魂は自己の未来の生活に横たわっている試練の火を理会と諦念(あきらめ)めとをもって受けることができるーなぜなら彼みずから試練の火の必要をさとっているからである。

 

 

第四階級ー最後にこの階級の進化を遂げた霊魂においては、臨終にのぞんで運命の修正を申し出ることもできるのである。

 

ーこれは今日、青色スピリットがレイヌに説いたところであるが、ヴェッテリニはそれを次のごとく説明したー運命によって定められた死期が近づいて来たときに、ある程度まで発達した霊魂は、肉体の睡眠中または無意識状態中に肉体を脱出して、司配級のスピリットの所へ相談に行くことができる。

 

 

これらの司配級のスピリットに助けられて彼は自己の生活について負うべき責任とその結果とを完全に意識する。このとき、もしその霊魂がーすでに高き進化をとげているのではあるがーなおしばらくの間この世に生まれ代わって来る必要がある場合には、

 

 

彼はあらかじめ定まった時刻に死なないで、その瞬間まで耐えしのんできたところの同じ苦痛の状態を、数年間ないし数ヵ月間継続して、ふつうならば受けるべきはずの、もう一度この世への「生まれかわりの」緩徐(かんじょ)な過程を踏まないで、地上における最後の進化を、生まれかわりを省略して、高速度に完了するのである。

これは白色のスピリットの非常な恩恵的取り計らいのように思われるのである。(1913年4月14日)

 

 

 

 

谷口雅春 著  「生命の實相」第九巻より

 

 

 

 

* 差別心より観たる霊界の消息は、まだ沢山ありますが、取りあえず次回で終わります!

又「生命の實相」第10巻には「平等心より観たる霊界の消息」が書いてあり、巻頭に下記のように書いてあります。

 

この世の中には合理的・科学的にどうしても割り切れない問題があります。

突然ある人が神ガカリとなり、日常の問題―スポーツ、芸能、政治、経済の問題―等をピタリと言いあてると、世間の人はすぐにその人を神様扱いにする。だがそこからは、

 

人間如何に生くべきか”の崇高な真理は何一つ生まれてこないのです。しかし本書にみるように、高級霊からの通信には、人間の究極の真理が述べられ、それがそのまま現実生活の法則に活きてくる驚くべき事実があります。この事実の認識があってはじめて充実した人生といえるのです。

 

 

◯ 生命の実相第10巻 霊界篇下のはしがきには

 

霊界通信には全然真実性のない低級霊からの通信もあれば、崇高な真理を説く非常な高級霊からの通信もある。しかし高級霊からの通信は非常に少ないのであるなぜなら高級霊は地上の生活にあまり興味をもたないからである。

 

本書の第九巻にのせたフランス霊媒家にあらわれたヴェッテリニやアガシャの霊のごときは高級霊であって、地上人類の最後の運命の予言までもしていて、現在までその予言の大多数が的中しているのである。そしてその説くところは秩序整然、人間智の及ばないような深い真理を説いているのであるが、現象界の人類の運命の遷りかわりや死後の霊の進化のごときはいずれも差別界のことであるからわたしは第九巻において「差別心より観たる霊界の消息」としてそれを紹介しておいたのである、

 

本巻における「平等心より観たる霊界の消息」は差別界の霊魂の位相の相異や現象的変化を超えて、すべての人類に平等に宿るところの神聖性に貫穿(かんせん)し、神性仏性を端的把握しえた境地において人間の実相を直視しての霊界通信である、この霊界通信を寄越した霊魂は、よほどの高級霊であり、差別を超えて人間のすでに完全なる実相を説くのである。……省略

 

これもいずれブログに書く予定です。