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生命の実相第9巻

霊界篇第一章

 

 

差別心より観たる霊界の消息

 

……(途中省略)……しています。

 

(十七)

 

スピリット自身はいかに「死の神秘」について語るか

 

 

 

(著者注)

霊界はどこにあるかの問題は今なお論議のつきない問題である。しかし地上に浮浪する階級の霊魂の住む世界が、われわれの住んでいるこの地上と同じ圏(ところ)にあるということはたしかである。空気とエーテルとは同じ場所に共在しているであろう。

 

 

それと同じようにスピリットとわれら生者とも同じ場所に共在しうるのである。われらは死せば「空気の世界」から出て「スピリット質の世界」に移行する。「スピリット質の世界」は科学者のいわゆるエーテルとは別もののようである。が「空気の世界」と共在しうることエーテルと同様である。

 

 

この地上に浮浪する階級の霊魂の世界はいわゆる「浮浪霊の世界」であって、霊魂の落ち着くべき純粋の「霊圏」ではないようである。霊圏の最下層は、地獄ないし憐獄的状態であって、すでに「浮浪霊の世界」ではない。

 

 

最下層の上層すなわち第二層霊圏には常人すなわちきわめてふつうの霊魂が住み、地上に指導のために神懸かりして来るスピリットの世界は、この第二「霊圏」の上層に住むものが多いとのことである。

 

 

元英国心霊科学大学の学長マッケンジー氏が、みずから霊魂出遊の方法を用いて探検したと称するところによれば、霊界は七圏にわかれて地上の霊魂を教育するために降ってくるのは、おおむね第二霊圏の上層にいるスピリットであって(これが青色のスピリットである。このスピリットが一段の進化を遂げれば、その青色がいよいよ冴えて白色のスピリットになるという)それ以上の階級のスピリットはめったに地上の世界のことには関係しないといっている。

 

 

霊媒(れいばい)に憑(かか)りて人間を惑わせるのは「浮浪の霊」が最も多く、人間界指導のために神懸かりする第二層の霊界人はこれにつぎ、白色スピリットにいたってはきわめて稀である。

 

 

マッケンジー氏は霊界の各圏と各圏との距離までも計ったと称してその数字を発表しているが、距離は相対的認識の尺度の一種であって、境を異にするとき、(すやわち霊界においては)その数字が地上のわれわれにとって何を意味するかすこぶる不明瞭である。しかし霊能力者が霊魂を出遊さすとき、上昇または下降の感覚を味わうのは事実である。

 

 

「浮浪霊の世界」は現世的地上雰囲気内に共存しうるが、霊圏の第一層はある霊魂の通信によれば、地表よりも低しといい、ある霊魂の通信によれば地表よりも高しというが、位置の高下や、距離の感覚が、「思念とほとんど同時に、その念ずる場所に到達しうるような霊魂」にとって何を意味するかは、われらの地上的感覚をもって類推することはできない。

 

 

またある霊魂は肉体死後、無意識状態のまま、自己に割り当てられた霊魂につれ行かれてそこで目覚めるからその霊魂が地表よりも上層であるか下層であるかを知らないことは、われらが睡眠中にビルディングの幾階目かに運ばれて目覚めた時に自分が何階にいるかがわからないのと同様であろう。

 

 

自分は、帰幽せる霊魂が白色のスピリットの審判廷に連れ行かれて審判きを受けるという問題に復(かえ)っていったーそれはわれらの地上の社会的秩序の観念にあまり似ているのでおもしろくない気がすることを自分は告白したのである。なぜ、霊魂の階級別けが自動的に行われないのであろうか。

 

 

1つの霊魂はその前生において、他の人間の批判には関係なしに一定の進化を遂げる。いわゆる審判廷なるものがある時は、必然に人間的要素が入り込むのである。では、この霊界の審判廷ースピリットの設立した法院ースピリットたち自身の考案で設けられた裁判廷ーはしたがって弁論に付せられるものであろうか?それとも、それはいっそう高い法則の機能であろうか?

 

 

 

つづく

 

 

谷口雅春著「生命の実相」