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⑬ 運命の曲がり角にさしかかった日本国

 

 

 

○ ユダヤ人の繁栄の秘密について


 

預言者モーゼは、「申命記(しんめいき)」のなかで大自然の掟(おきて)をいろいろと書いた「殺す勿れ、盗むなかれ…」等々、十戒を書いて、そのほかの細々とした戒律も書いたのであった。そして神に対する献金として収入の十分の一を什一税(タイジング)として捧げることをも定めたのであった。 

 

 

ユダヤ人はそれを必ず実行して、すべての農民が繁栄し富者が無数に続出したのであった。
ところがユダヤ人の中にはアダムのように人間智の賢(さか)しい者があらわれて来て、その繁栄は、何も、什一献金をするので神が特に吾らを祝福し給うたという結果ではないのである

 

 

 

ユダヤ人が繁栄するのはユダヤ民族がすぐれた知能をもっているからである。何も神様に献金したからではないのだ。だから今後什一献金を止めようではないかといい出す者が出て来た。そしてユダヤ人は一斉に自分の収入を神さまの御用に供することをやめたのであった。

 

 

それから間もなくイナゴの大群が、それはどこから発生したのかも不明であるが、天日を覆いかくす雲の如く、お空を密集して飛ぶ時には、地上は岩戸隠れのように真暗になった。やがてそのイナゴの大群はユダヤ全土の畑におりて、畑の作物を食いあらすのであった。

 

 

 

一匹一匹のイナゴは小さな昆虫に過ぎないのだけれども、何百億ともいうべき大群が畑におりて来て作物をかじる時には激しい豪雨のような音がして、またたくうちに畑の作物は姿を消して何ひとつ残らなくなった、

 

 

 

と間もなくイナゴは飛び去って雲が、霞か、それは唯のまぼろしだったのかいなくなった。ただそのイナゴが実存していて襲って来たという証拠には、作物が完全に食いつくされて荒れ果てた田畑が残っているという現実であった。

 

 

こうしてユダヤ全土に飢饉がおそって来たのである。そしてユダヤ人は一ぺんに富有から貧困にまで墜落したのであった。

 

 

神を無視して、人間智だけで生活を推進して行けると思うとそれは間違いであって、すべての繁栄と富とは、ことごとく神から来るものであるから、その初穂を神の御用に献納するというのは、神は、霊、であり、一切をもちたまうのであるから、神が献納の産物や献金を使うために必要とせられるのではない。

 

 

 

それは人間自身の心の問題なのである。与えられたものは、その恩を感じて与え返さなければならない、つまり、報本反始、ということが、宇宙のあらゆる事物の運行を調和ある姿にバランスせしめている、平衡の原則、なのである。

 

 

 

それ故にユダヤ人の什一献金や、日本民族の「神に初穂を供える」という民族習慣は、この、平衡の原則、を完うするので、富の無限循環が続行継続して、それが豊かなる物資の流れとなって吾々の生活をうるおすことになるのである。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「私の日本憲法論」     ⑬ 運命の曲がり角にさしかかった日本国

 

 

 

 

 

★  今日のところは有名な話ですね!何十年も前にこの話を聞いて真似事をやってきましたが!笑!間違いないですね!それなりに平和に生きて来られましたので!

 

 

☆ その所に於いて生き切れ


すべての人は神の子であるから、必ず何か特殊のその人でなければならない才能が宿っているのである。その才能を伸ばしさえすれば必ず自己は幸福となり、世界も亦、それによって幸福を得るのである。その才能とは何であるか、自己に与えられている才能が何であるかが自分に解らないときには、現在の仕事と環境とに於いて、自分の出来るだけの力を盡(つく)して精出せばよいのである。全て既に与えられている所のものを充分感謝してそれを生かせば、必ずそれは眞の自己の才能を伸ばす所の踏み台となり、第一歩となるのである。