過去記事より掲載しています

 

 

テーマ:

 

 

 

③ 自衛隊違憲判決とマッカーサー憲法の本質

 

 

 

 

○ 通俗名称の略号を用いた虚構の憲法


 

日本を愛する先覚諸賢に告ぐ、憲法はどうあろうとも国には自衛権はあるのだから、自衛隊は違憲であっても、そんな判決に左右されずに自衛隊は存続すべきであるとの説をなす者もあるけれども、「その自衛の権利を放棄した」と書いているのが此の占領憲法なのである。もうー度、その第九条を精読して下さい。

 

 

 

その二行目位のところに「国権の発動たる戦争」と書いて、これを放棄するという意味のことが書かれているのである。この文章は英文を訳した悪文であるから「国権の発動・・・云云」の文章の結末が、どこヘつながるのか不明瞭であるが、国権という中には自衛権も含まれている筈であり、その国権としてあるところの自衛権を「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というのである。

 

 

 

向うから理不尽に攻めて来るのも“国際紛争”のー形態だと思うが、それに対して自衛権という国権の発動を永久に放棄するというのが、この憲法の総括前文なのだから、どうしても、この憲法が有効として存続する限り、自衛隊違憲という解釈は憲法上正しいと見るほかはないのである。そんな憲法を、どうして現政府や愛国の党たることを標榜する自民党の諸賢は何故“無効宣言”しないのであるか。

 

 

 

自衛隊存在の合理性を憲法の上にも基礎づけるために現行憲法の無効を何故宣言しないのであるか。第一、現行憲法には、帝国憲法に定められたる「大日本帝国」国号すら存在しないのであり、単に通俗名称の「日本国」と書かれているだけである。苟(いやしく)もー国の最高の政治及び国民生活の規範を定めた法文である憲法に通俗名称の略号「日本国」と書いて、「大日本帝国」という国号ぜんたいを書いていないのも奇怪である。

 

 

 

ここにもこの憲法がニセモノである性格を露呈しているのである。われわれは未だ、帝国議会に於ても、戦後の国会に於いても、日本の国号「大日本帝国」を廃して、「日本国」と改称すと決議されたと聞いたことがないから、明治憲法に記載されている「大日本帝国」なる国号は現在も生きているのである。

 

 

その国号が正式に記載されていない事だけでも、この憲法が「虚構の憲法」であることが明かであるから、直ちに廃棄して然るべきであるのである。また明治憲法の第七十三条にある「憲法条項の改正」に関する条項に則って合憲的に現在の憲法ヘと改定せられたのであると占領軍は牽強附会(けんきょうふかい)したのであるが、明治憲法第七十三条は次の如く書いている。

 

 

将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議二付スヘシ」

これは「憲法の改正」の手続きを定めた条項ではなく、「憲法の条項の改正」の手続きを定めた条項に過ぎないのである。条項は憲法のー部であり、「条項改正」の条文によって、憲法全部を廃棄し、全然別の精神をもり込んだ新作文の憲法を押しつけるのは、恰も歯が蝕(むし)くったらそれを抜いて義鹵と人れかえても犯罪にはならないという定めであるから、その人間の歯だけではなく、骨も肉も脳髓も全部抜きとって殺してしまい、別の人間をつれて来て「これが本人だ」と主張する人が仮にあっても、かれは到底“殺人罪”の犯人たることを免れることはできない筈(はず)である。それと同じことを占領憲法の制定ではやっているのである。

 

 

 

そしてその別の人間に、前の名前(大日本帝国)によく似た名前(日本国)という名称をつけて「以前と同じ人間だ」と装わそうとしても、そんな無茶は天地の道理が許さないのである

 

 

 

明かに現行憲法は、明治憲法の第七十三条を無理に拡大解釈して「歯(条項)を抜いてもよい」とあるから全身を抜いて「大日本帝国」なる国を殺してしまい、人格も何も全部異なる別人をつれて来て「日本国」という似た苗字をつけそれを同一人と詐称せしめているに類する。それ故この憲法は生命体としての国家の人格を殺し、その国名を詐称せしめている犯罪の上に成立つ「虚構憲法」なのである。従って完全に無効なのである。

 

 

 

 

 

○占領憲法の強行制定は明治憲法に違反する


 

また明治憲法第七十五条には、
「憲法及皇室典範ハ摂生ヲ置くノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」


 

 

とある。摂生とは天皇が政治を行う能力に支障を生じた時に天皇に助言し示唆し、又は政治を代行する役目の人間を謂うのであって、昭和二十一年の占領憲法制定当時は天皇は、占領軍総司令官の指揮の下に従属せしめられ、天皇に助言し、示唆して勅令や詔勅を発せしめる摂生の役割を演じていたのがマッカーサ元帥であったから、

 

 

 

このように天皇が直接政治を行うことの出来なかったあの時点に於いて、帝国憲法及び皇室典範を変更することは明治憲法に違反するのである。

 

 

 

その違憲を敢てして、占領軍の圧力により強行制定せられたのが現行憲法であるから明かに違憲であり占領終了して軍政が終わる共に、既に本来無効になっているのである。

 

 

 

今更「無効宣言」をするのも大人気ない事であるけれども、ニセ札が横行するとき、ニセ札と知らずにその紙幣を通用させて大変な被害を蒙る者があるとき、そのニセ札である所以を公表して被害が今後一層甚大になるのをふせぐのは、政府として当然の責務であると思う

 

 

 

それと同じくニセ憲法が横行して今や国防の事さえも、完全に行うことができないまでにその弊害が甚大になりつつあるとき、そのニセ憲法たる所以を発表して、その「無効宣言」をなすのは、これこそ為政当局の責務であるのは言うまでもないのである。

 

 

 

田中角栄総理よ、勇気を出して「現行憲法の無効宣言」を匆急(そうきゅう)に行われんことを切望するものである。その時、あなたは日本国民として大日本帝国の存在を磐石の基礎に置いた功労者として永久に歴史上に輝く人となり得るであろう。

 

 

 

 

 

谷口雅春著「私の日本憲法論」    ③ 自衛隊違憲判決とマッカーサー憲法の本質(完)

 

 

 

 

 

☆ 神の人間創造意義


自己が自己を知り、自己が自己を観るにはそれを客観化しなければならない。換言すれば唯一の存在としての自己が、「観るもの」と「観られるもの」との相対に分化しなければならないのである。「働くもの」と「働きかけられるもの」と相対に分化しなければならないのである。眼が眼を見るには、眼は眼を媒介として仮に自己の外に「自己の影」を見なければならないようにである。神が人間をつくったのは、神が自己自身の姿を観るために、神が自己自身の姿を楽しむため、自己の外に自己の影を創造したのである。

 

 

 

 

 

☆ 人生は何のためにあるか


人間が地上に生をうけたのは何故だらうか。何のために人生はあるのだろうか。人間は何のために生まれたのだろうか。これこそは真面目な真剣な人々の切実な問である。人間を神がつくったのは、神自身を享受せんがために、神自身の生命を此の世に具体化したのである。凡そ自己が存在するならば自己の存在を自己が知らねばならない。知らなければ自己が存在するところの意義をなさないからである。しかし自己が自己を知ると云うことは、眼が自分の眼を見ることが出来ないと同様にそのままでは出来ないのである。