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◎憲法復元か、革命か
○ もし日本が分割されていたら (昭和四十四年)
最近、私は、皇学館大学教授田中卓博士の『国家興亡の岐路』と題するパンフレットを贈呈された。この本はわずか定価六〇円の手ごろの本であるからぜひ諸君に読んでもらいたい。その中に分割されたドイツの悲惨が次のように書かれている。
「なかんずく気の毒なのはドイツです。戦前のナチス・ドイツはヒトラーの指導の下に鉄の団結を誇る民族でありました。そのドイツは、戦いに破れて東西に分裂させられ、たとえば東京にあたるベルリンの町のまん中に国境線があって、旅行者はその国境線で厳重な身体検査を受けます。
そして国境線では同じドイツ人が違った色の軍服を着て自動小銃をかまえて睨み合っているのです」私もベルリンヘ入ってこの実情を見て来たが、ソ連圏の東ベルリンは、言論の自由も、経済の自由もない警察国家なので、その搾取と窮屈さに耐えかねて東ドイツからアメリカ圏の西ドイツに逃亡するドイツ人が三百五十万人に及ぶに至って、
東西ドイツの国境は有刺鉄線の鉄条網によって閉鎖せられ、自分の娘が東ドイツヘ嫁に行っていても、その両親は逢いに行けないような不自由な状態であったり、東ドイツから裸一貫西ドイツヘ移転すべく鉄条網をくぐった瞬間、
ソ連の哨兵に銃殺された青年の墓が西ドイツ側の鉄条網のごくそばにあって、花が供えられていた。日本がこんな状態にならなかったのは、ソ連の北海道進駐をゆるさなかったマツカーサー元帥と蒋介石総統の叡智ある処置に負うのである。
われわれはこの恩恵を忘れないのである。アメリカに「還れ」といったり、蒋介石政府を国連から閉め出して、中共を国連に於ける中国代表者としようなどと考える者があれば、彼は破廉恥(はれんち)な忘恩者と評するほかは仕方がないのである。
○ 「毛沢東語録」で進軍する中共 (昭和四十四年)
ソ連に進駐されたら、こんな悲惨な状態になるはずだったが、中共の方は、はたして平和勢カであろうか。中共は、原爆水爆を実験していて、すでに中距離の弾道弾を開発中で、ソ連の各都市および日本全土は、その射程内にあるということである。
それだから中共の御機嫌を損じないように、今から媚(こび)を呈しておかなければならないと容共派の政治家は考えているらしいが、それは敗北主義にすぎないのである。
中共は「みずから進んで最初の原水爆攻撃はやらない。世界から原爆兵器をなくするための抑止カとして、原水爆を開発しているのだ」とたびたび言明するけれども、
『毛沢東語録』には、「世界はただ武器によってのみ改造することができる」 「永久に戦争なき平和は、ただ戦争を通してのみ得られる」 「共産党員の一人ひとりが、みな『銃口から政権がうまれ出てくる』という真理を理解しているべきである」
「革命の中心任務と最高の形態は武装による政権の奪取であり、戦争による問題の解決である。このマルクス・レーニン主義的な革命の原則は、普遍的な妥当性をもち、中国であろうが、外国であろうが、みな一様に妥当する」 以上のような戦争による革命兵略を金科玉条(きんかぎょくじょう)にしている中共が平和勢カということはあり得ないことなのである。
しかし、現行の憲法では、日本はそのような隣国の戦争勢力を阻止し得る軍傭を備えることはできない。また現行の憲法がたとい改廃せられた後も、すぐ、そのような戦カまたは防衛力が日本にできるわけではない。
だから、どうしても或る期間は、アメリカの核戦力の傘の中にいて、力のバランスで平和を保つほかはないのである。なぜなら、戦争をけしかけることによって、戦争を通して全世界に共産革命を起こそうというのが、毛沢東の理想であり、理論なのだから。
つづく
谷口雅春著「私の日本憲法論」 ○ 憲法復元か、革命か
☆ 戦争をけしかけることによって、戦争を通して全世界に共産革命を起こそうというのが、毛沢東の理想であり、理論なのだから。
これが共産党の思想です。昨日は終戦記念日で、テレビで絶対戦争はいけないと各局いっているが、大東亜戦争もアメリカがヨーロッパ戦線に行きたい為に日本を怒らせて日本から攻撃させてアメリカ国民の支持を得てアメリカから戦争をしかけたのである。戦争はしてはいけないしかし相手からやられないようにしなければならないという事です。
それから中国はロシア以上にしたたかでエゲツナイ国のようです。中国に来た政治家、政財界、あらゆる層にハニートラップをしかけておどしているようである。吾々はお金の計算は教わったが国家を守るとか、国家の為という教育は受けていないのです。今の日本の国の学校の先生でそういう教育できる先生はいるのだろうか?今の全ての教師がそういう教育は教わっていないのである。逆に中国へ行ってハニートラップにひっかって自分と自分の家族を守る為に国家を売らないで頂きたいと思います。