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現行日本国憲法前文の非真理性

 

 

 

 

○ 日本国家形成の理念はいかなるものか 
  
 

 

それでは日本国家形成の理念というものはいかなるものであるかというと、天皇を中心とする君民同治の国家理念であるのである。それは『日本書紀』にしるされている「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」という理念であり、

 

 

 

それがさらに具体化されて神武天皇建国の「上は則ち天津神(あまつかみ)の国を授け給いし徳に答え、下は則ち皇孫(すめみま)正しきを養いたまう心を弘むべし。然してのち六合(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為さん」の詔勅となり、

 

 

 

これが世界連邦の「都をつくり、八方の世界各国の魂の緒(お)を、冠の紘(ひも)を一つに結ぶかのごとく結び合わせて世界中を一家庭のごとくする」という理想となって発展していることはしばしば私の説くところである。

 

 

 

「上は則ち天津神の国を授け給いし徳に答え」という建国の根元にわれらは注意しなければならないのである。日本国は「人間立国」の国ではなくて、「神より統治の大
権を天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子々孫々たる天皇に下し給うた」という「理念」の具体化が現実の日本国としてあらわれているのである

 

 

 

この理念が「大日本帝国憲法」(旧憲法)の第一条「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之(これ)ヲ統治ス」として明確に表現せられているのである。 そして、明治天皇の大日本帝国憲法発布の勅語が、同憲法の前文として与えられているのであるが、

 

 

 

それには、「弦(ここ)二大憲ヲ制定シ朕カ率由(そつゆう)スル所ヲ示シ朕カ後嗣及(こうしおよび)臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠二循行(じゅんこう)スル所ヲ知ラシム國家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗(そそう)二承ケテ之ヲ子孫二傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章二循(したが)ヒ之ヲ行フコトヲ愆(あやま)ラサルヘシ」
  
 

 

ここに注意すべきは、「國家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗二承ケ」とあることおよび「子孫タル者ヲシテ永遠二循行スル所ヲ知ラシム」とあることであって、この憲法は永遠に子孫に循行せしめなければならないし、

 

 

 

しかも、その根本精神たる国家統治の大権は皇祖天照大御神および皇宗すなわち祖先歴代の天皇を通してそれを継承したところのものであって、この憲法の大精神は天皇の後嗣者および臣民および臣民の子孫たる者をして永遠に循行せしむべきものであると定められているのである。

 

 

 

「循行」とは命(みことのり)のままに循(したが)い奉って実行することである。この憲法の根本精神は「永遠二循行スル所ヲ知ラシ」めるのであるから、憲法改正のことを定めた帝国憲法の第七十三条「將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」があるにしても、

 

その条項改正には、おのずから制約があるべきであって日本の「国家理念」そのものや「建園の根本精神」たる「國家統治ノ大權ハ…之ヲ祖宗二承ケ」ということまで改定することを意味せずして、足りない条項を加えるとか、条項の文章が不適当であるのを改正するとかいうような或る限定範囲があるはずであるので、無制限の改正または、全然の書き改めを意味するのではないことは明らかであるのである。

 

 

 

だから、帝国憲法のその第七十三条の改正条項に従って現行の憲法が合理的に制定せられたというのは一種の詭弁であり、偽装にすぎないのである。 

 

 

 

一歩ゆずって、帝国憲法の第七十三条の憲法改正条項が無制限の改正を許したと解釈することを合法的だとみとめても、その条章には「將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトハ……」とあるので、実際にはあの時けっして、日本国民にとっては帝国憲法を「改正する必要」などはなかったのである。

 

 

 

占領軍にとっては「日本弱体化のために」"改正の必要。があったかもしれないけれども、日本国の憲法を定める当事者たる日本国民には"改正の必要。などはなかったのであるから、この七十三条の「改正スルノ必要アルトキハ……」の改正条項にはあてはまらないのである。

 

 

 

ポツダム宣言やバーンズ回答を成心なく素直に読みさえすれば、憲法改正やあるいは制定を必須ならしめるごとき条件は、明示的にはもちろん、黙示的にも全くないし、統治の主体や所在についてももちろん、なんら変更を必要とするものではない」ということは遠藤重利氏らも指摘しているとおりである。
  
 

 

日本の降伏条件であったポツダム宣言を日本が受諾した結果、日本の民主化をポツダム宣言が調っているから憲法改正の必要があったという人があるかもしれぬが、ポツダム宣言は帝国憲法の下においても民主主義は行なわれていたことをみとめて、「民主主義的傾向の復活強化」という語句を録(しる)しているのである。

 

 

 

実際明治天皇は五箇条の御誓文の中において「廣ク會議ヲ興シ萬機公論二決スヘシ」と仰(おお)せられ、議会制度を定めるなど全く民主主義を実行せられたのであった。

 

 

 

だから日本民主化のために帝国憲法を改正するの必要はないのに、この改正条項に従って改正したと呼称するところに偽りがあり偽装があり、不合理があり、虚妄があるのであるから、この七十三条によつて改正したと称する現行の憲法は、法理論上から無効なのであり、

 

 

 

それは帝国憲法に対しては違憲の大罪を強行したのであり、単にそれは占領軍の占領行政遂行の便宜上設けられた基本法であるから、占領終了と同時にそれは失効してしまっていて、すでに帝國憲法が事実上復元しているはずなのである。

 

 

 

ただこの大事実を認めて宣言し、天皇に助言して、それを公布せしめる勇敢にして真理に忠実なる総理大臣の出現を私は待ちのぞむばかりである。以上の理由によって私はどこまでも、現行の憲法は、帝国憲法に対する違憲によって生まれた奇型児であるから本来無効であると主張するのである。

 

 

 

 

 

谷口雅春著「私の日本憲法論」      現行日本国憲法前文の非真理性