過去記事より掲載しています
- テーマ:
- 無門関解釈
◎ 無門關解釋
○ 第十六則 鐘聲七條(しょうせいしちでう)
雲門曰(うんもんいは)く、世界恁麼(せかいいんも)に廣闊(くわうくわつ)たり。甚(なん)に因(よ)ってか鐘聲裏(しょうせいり)に向(むか)って七條(でう)を披(き)る。
無門曰(むもんいは)く、
大凡參禅學道(おほよそさんぜんがくだう)は、切(せつ)に忌(い)む聲(こゑ)に隨(したが)ひ色(いろ)を逐(お)ふことを。縱使聞聲悟道(たとひもんじやうごだう)、見色明心(けんじきみやうしん)なるも、也是(またこ)れ尋常(よのつね)なり。
・・・以下省略・・・
頌(じゆ)に曰(いは)く、
會(ゑ)するときは則(すなは)ち事(じ)、同ー家(どういつけ)、會(ゑ)せざるときは萬別千差(ばんべつせんしや)。會(ゑ)せざるも事(じ)、同ー家(どういつけ)、會(ゑ)するも萬別千差(ばんべつせんしや)
解釋(かいしやく)
つづき
この講話をしたのちに私は下關(しものせき)の誌友古谷次一氏(しいうふるたにじいちし)の留守宅に招(せう)ぜられて晩餐(ばんさん)を頂いたのであるが、その席で井上さんと伝ふ小學校の女教員(じょけうゐん)をしてゐる方が接待の席に來られて、「今日の先生の御講演を聽(き)いてゐるうちに、私は大變(たいへん)なお蔭を頂きました」と伝(い)はれるのである。
この女教員は生れてから未(ま)だ一度も太陽を見たことがない人なのである。太陽の方を向くと眩(まぶ)しくて眼(め)が開(あ)けてゐられない、それだから朝の體操(たいさう)の時間に東面(とうめん)して生徒に體操(たいさう)の號令(がうれい)を掛(か)けるときにも眼を瞑(つぶ)って號令(がうれい)をかけてゐた。
ところが眼はものを見るに非(あら)ず、蜆(しじみ)は眼なくして泥(どろ)の黒いことを見ると伝ふ私の講演を聽(き)いてゐるとき、その日は五月の中旬すぎであったが、西側から強烈(きやうれつ)な日光が射(さ)して來て暑いことだと思ひながら西日(にしび)の方へ振向くと、驚(おどろ)いたことには初めて、實(じつ)に生(うま)れて初めて井上さんは太陽のまん丸い相(すがた)を見たのであった。それは雲ってゐたために太陽の光線が弱いために注視(ちゅうし)し得(え)たのではない。
晴れた五月の随分強烈(ずゐぶんきやうれつ)な日光で講堂の中の聽講者(ちやうかうしや)はいづれも汗を額(ひたひ)ににじませてゐた。その太陽を井上さんは生れて初めて見たのである。無門和尚(むもんをしやう)の筆法(ひつぱふ)を籍(か)りて伝(い)へば、「且(しばら)く道(い)へ、太陽、井上女史の眼邊(げんぺん)に來(きた)るか、井上女史の眼(め)、太陽に往(ゆ)くか」である。ところが、そのどちらでもなかったのである。
井上女史の心の眼ひらいて太陽を見得(みえ)たのである。今までは「聲(こゑ)に隨(したが)ひ、色(いろ)を追(お)ひ、」聲(こゑ)に振り廻され、色に使役(しえき)されてゐたのであるが、心(こころ)がひらいて太陽を掴(つか)んだのである。
『甘露(かんろ)の法雨(はふう)』の後篇(こうへん)『天使(てんし)の言葉(ことば)』にも、
『嘗(かつ)て伊太利(イタリー)の大醫(たいい)ロンブロゾーが
或(あ)る神經病者(しんけいびやうしや)を取扱(とりあつか)ひし記録を見ずや
患者は感覺(かんかく)の轉位(てんい)を起(お)こして
眼球(がんきう)をもって物象(かたち)を見ることを得(え)ず、
指頭(ゆびさき)をもって物象(かたち)を見ることを得しにあらずや。指頭(ゆびさき)には眼球なく、
網膜(まうまく)なく、
視神經(ししんけい)なし、
されど彼の指頭(ゆびさき)はよく物象(かたち)を見ることを得(え)しに非(あら)ずや。
この事實(じじつ)は、
感覺(かんかく)が肉體(にくたい)になく、
神經細胞(しんけいさいはう)になく、
その背後(はいご)にある『心(こころ)』に或(あ)ることを立證(りつしよう)するものなり。
『心』にして見ることを肯(がへ)んずれば、
指頭(ゆびさき)も尚物象(なほかたち)を見るを得(う)べく、
…………………
かくの如(ごと)く人は
心だに肉體(にくたい)に捉(とら)はれざれば
眼(まなこ)なくして物(もの)を見(み)、
耳なくして物を聞き、
體(からだ)なくして物(もの)に觸(ふ)るることを得(う)るは事實(じじつ)にして理論にあらず
と書かれてゐる。
聲(こゑ)ある(響(きやう))と思ひ、また聲無し(寂(じやく))と思ふ其(そ)の「響寂(きやうじやく)」二つの世界を空じ去って(忘(ばう)ずる)實在(じつざい)の聲(こゑ)と通話(つうわ)するにはどうすれば好(よ)いかと伝(い)ふことが、「此(ここ)に到(いた)って如何(いかん)が話會(わゑ)せん」である。
答(こた)へて曰(いは)く、「若(も)し耳を將(も)って聽(き)かば應(まさ)に會(ゑ)し難(がた)かるべし。眼處(げんしょ)に聲(こゑ)を聞かば方(まさ)に始めて親(した)しからん。」眼處(げんしょ)とは眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)の六處(しょ)の一つである視覺器官(しかくきかん)のことである。
聽覺器官(ちやうかくきくわん)でものを聽(き)くやうなことでは駄目(だめ)で、眼(め)で聲(こゑ)を聽(き)く位(ぐらゐ)にならなければ、親(した)しく實相の聲(こゑ)をきくことは出來ないと伝ふのである。まったく、『天使の言葉』の一節(せつ)「心にして見ることを肯(がへ)んずれば、指頭(ゆびさき)も尚物象(なほかたち)を見るを得(う)べく」とあるのに符合(ふがふ)する。
最後に無門和尚(むもんをしやう)は頌(じゆ)して「會(ゑ)するときは則(すなは)ち事(じ)、同ー家(どういつけ)、會(ゑ)せざるときは萬別千差(ばんべつせんしゃ)。會(ゑ)せざるも事(じ)、同ー家(どういつけ)、會(ゑ)するも萬別千差(ばんべつせんしゃ)」と伝(い)った。
會(ゑ)すると伝(い)ふのは、融會(ゆうゑ)し、和解(わかい)し、本來一體(ほんらいいつたい)を自覺(じかく)することである。本來一體(ほんらいいつたい)であることを會得(ゑとく)すれば萬事萬物(ばんじばんぶつ)たゞ同ー(どういつ)の「生長の家」であると伝ふのだ。
「生長の家」は「私の拵(こし)らへた家(いへ)ではない、久遠實相(くをんじつそう)の世界の別名(べつめい)」であるから、その眞諦(しんたい)が本當(ほんたう)に判(わか)ったら多宗爭(たしゆうあらそ)ひはない、みんな同ー家(どういつけ)である。
併(しか)し同ー家(どういつけ)であるならば別に、我(わ)が田(た)へ水を引くことも要(い)らぬ。「今までの宗旨(しゆうし)が間違ってゐるからこちらの『生長の家』へ改宗(かいしゆう)せよ」と伝ふ必要もない。だから「生長の家」ではつねに「今までの宗旨(しゆうし)たいへん結構ですよ、そのまま祖先大切にしなさいよ」と伝ふ。
改宗して同宗にならないでも、始めから同ー家であるーそのことが「會(ゑ)せざるも事(じ)、同ー家(どういつけ)」である。同ー家であるから、和解し歸ー(きいつ)してゐても、そのまゝ各々(おのおの)の姿を顯(あら)はしてゐる。柳(やなぎ)は緑(みどり)、花(はな)は紅(くれなゐ)で、そのまゝで救はれてゐるのである。
(完)
谷口雅春著「無門關解釋」第十六則 鐘聲七條(完)
☆ 日常生活の中の真理
84ページに
英国の文豪プリーストリー氏が日本へ来て、日本人の生活様式が多く西洋模倣になりつつあることを歎(なげ)いて、「いくら日本人が西洋人の生活様式を模倣しても、西洋人の贋(まが)い物が出来るだけで、この宇宙に新価値を加えることにはならない。日本人が日本人でないと出来ない生活様式に生きるときにはじめて神が日本人を生み出した目的である新価値の創造になるのだ」と説いていましたが、「神が人間を生み出した」と云う点は、人間のいのちの本源が平等であると云うことであり、日本人が日本人らしい生活をすることは、平等でありながら差別を生きる、それが神のみ心にかなうと云うことであります。