無門關解釋

 

 

無門後序(むもんこうじょ)

 

 

從上(じゆうじやう)の佛祖(ぶつそ)の垂示(すゐじ)の機縁(きえん)、款(くわん)に據(よ)って案(あん)に結(けつ)す。初(はじ)めより剰語無(じょうごな)し。腦蓋(なうがい)を掲翻(けいぼん)し眼睛(がんせい)を露出(ろしゆつ)して肯(あ)へて諸人直下(しょにんぢきげ)に承當(じょうたう)して他(た)に從(したが)って覓(もと)めざらんことを要(えう)す。

 

・・・以下省略・・・

 

 

 

 

解釋(かいしゃく) 

 

 

 

昨日の終わり

 

「門(もん)」なしになってこそ、解脱の門に到達したと云ふものだ。あれでなければ悟れぬ、これでなければ救はれぬ、などと一つの「執(しふ)」を有(も)ってゐるやうなことでは解脱などと云ふことは思ひも寄らぬ。

 

宗教が却って爭ひの因となり、葛藤(かつとう)の門となる。無門のみが解脱の門である。その無門を體現(たいげん)して、宗派を樹(た)てず、すべての宗教がそのまゝ、宗派を改めずして、一切の閑葛藤(かんかつとう)を脱して「唯一實相」に歸一せしめ、「蓮華王座」(宇宙即ち蓮華藏世界の中心座)信仰に歸一せしめる正しい信仰が「生長の家」なのである。

 

 

 

つづき

 

 

「無意(むい)」は無爲(むゐ)であり「はからひ」が無いのである。「われ」と云ふものがないのである。「わたしが斯(か)うしたい」と云ふことがないのである。西田哲學の「觀(み)る者(もの)なくして觀(み)る」であり、「働くものなくして働く」である。

 

 

 

序(はしがき)の「天皇信仰(てんのうしんかう)」に於(お)ける「天皇を仰(あふ)ぎ、天皇に歸一(きいつ)し、私(わたくし)なきが忠(ちゆう)なり。わが忠と誇(ほこ)るとき、もうそれは忠にあらず、我(が)となるなり」である。「わが」はからひがないのが「無意(むい)」であり、「無意(むい)」が道人(だうにん)なのである。

 

 

 

また白雲宋端和尚(はくうんそうたんをしやう)は「明々(めいめい)として道(だう)を知る、只是(たゞこ)れ者箇甚麼(しやこなに)としてか透不過(とうふくわ)なる」と云った。「道(

みち)は到(いた)るところにある。門(もん)と云うて門(もん)がなく、そのまゝ無難(むなん)であるのに、透(とほ)るとか、通(とほ)らぬとか云ふことは有り得ないではないか」と云ふ意味である。

 

 

 

力(りき)んで、「此(こ)の道」だとか、「此(こ)の宗門(しゆうもん)」だとか、「これでなければならぬ」とか考へるところに、心の力(りき)みのあるところに無繩自縛(むじょうじばく)、自分を不透過(ふとうくわ)にするに過ぎないのである。とするならば、「透るとか通らぬとか」「そんなことがあり得ない」とか力んで議論してゐるそのことが、「赤土(しやくど)に牛嬭(うしのちゝ)を塗(ぬ)る」やうなもので、何の役にも立たぬ恥(はぢ)の上の上塗(うはぬり)と云ふものである。

 

 

 

そのまゝ君(きみ)に忠(ちゆう)、親に孝、夫婦相和(ふうふあひわ)しが悟りである。無門關(むもんくわん)を通るんだと、無一物(むいちもつ)になって家を飛び出し山へ籠(こも)るなんて、以(もつ)ての外(ほか)である。

 

 

 

山川國土草木一切衆生(さんせんこくどさうもくいっさいしゆじやう)そのまゝありながらそのまゝが物質無(ぶつしつむ)であり、悉皆成佛(しつかいじやうぶつ)の相(すがた)なのである。無(む)の關門(くわんもん)を通ったなどと云ふのは、無(な)い門關を透るのだから人を馬鹿にした話である。また無(な)い門關を透り得ないと云ふならば、それこそ自己欺瞞(じこぎまん)である。到るところ透ってゐるではないか。

 

 

 

「今、天地(てんち)の開くる音を聽(き)け」である。常に漂(たゞよ)へる國は征服されて國は肇(はじ)まり、肇國治(はつくにしら)す天皇(すめらみこと)は今も儼然(げんぜん)と在(ましま)すのである。常(つね)に天岩戸(あまのいはと)はひらかれて天孫降臨(てんそんかうりん)が時々刻々(じゝこくこく)あるのである。この時々刻々の天孫降臨(てんそんかうりん)のみ光に生かされて生きてゐるのが吾々人間(われわれにんげん)ではないか。

 

 

 

「所謂(いはゆ)る涅槃妙心(ねはんめうしん)は曉(あきら)め易(やす)く、差別智(しやべつち)は明(あきら)め難(がた)し。差別智(しやべつち)を明(あきら)め得(え)ば家國自(かこくおのづか)ら安寧(あんねい)ならん」と云ふのは、涅槃心即(ねはんしんすなは)ち平等心(びやうどうしん)は曉(わか)り易(やす)い、誰でも一切皆空(いっさいかいくう)であるとか、人類平等(じんるゐびやうどう)であるとか云ふのは判(わか)り易いのである。

 

 

 

併(しか)し平等が解って差別(しやべつ)が解(わか)らなければ「赤(あか)」い思想になってしまふ。平等の中(うち)に差別を知らなければならない。民族の差等(さとう)、民族のみならず一切人類の能力差等に對(たい)する適材適所(てきざいてきしょ)適人(てきにん)、適時(てきじ)、の三相應(さうおう)が得られたときにはじめて國家自(こくかおのづか)ら安泰(あんたい)なるを得(う)るのである。

 

 

 

一切平等(いっさいびやうどう)は事物(じぶつ)を壞(やぶ)り、差等を認めながら、その本質が「神の子」「佛子(ぶつし)」である平等を拜(をが)み、禮(らい)し、感謝し行くとき家も國も安泰となるのである。

 

 

 

時(とき)に紹定改元解制前五日(ぜうていかいげんかいせいぜんいつか)

 

楊岐(やうぎ)八世(せ)の孫(そん)、無門比丘慧開謹(むもんびくゑかいつゝ)しみて識(しる)す。

 

 

 

 

谷口雅春著  無門關解釋(完)

 

 

 

☆ 今日で「無門關解釋」全て終わりです。ありがとうございました!明日と明後日は第二十二則迦葉刹竿(かせふせつかん)のつづきを掲載します。

 

 

谷口雅春先生は常に国家の事を説いておられます。

 

 

併(しか)し平等が解って差別(しやべつ)が解(わか)らなければ「赤(あか)」い思想になってしまふ。平等の中(うち)に差別を知らなければならない。民族の差等(さとう)、民族のみならず一切人類の能力差等に對(たい)する適材適所(てきざいてきしょ)適人(てきにん)、適時(てきじ)、の三相應(さうおう)が得られたときにはじめて國家自(こくかおのづか)ら安泰(あんたい)なるを得(う)るのである。

 

一切平等(いっさいびやうどう)は事物(じぶつ)を壞(やぶ)り、差等を認めながら、その本質が「神の子」「佛子(ぶつし)」である平等を拜(をが)み、禮(らい)し、感謝し行くとき家も國も安泰となるのである。