◎ 生命の実相第三巻

 

 

◉ 昨日の終わり

 

しかし実験室での実験では、短距離にすぎますので、シベリアやアメリカのごとき遠距離に思念が届くかどうかについての疑いが起こるかもしれない。

 

遠距離の思念の送達については、例のオコロウィッチ博士は次のような実例をあげている。以下「わたし」とあるは同博士自身であります。

 

 

 

○ 思念の力

 

 

つづき

 

 

 

「わたしは十月二十四日、アーブルにいって、マイアーズ、マリルラン両氏らと共に、ダベル氏、ジャネー氏の心霊術実験に参加した。

 

 

 

わたしたちはあらかじめ次のような実験条件を定めておいた。

 

 

(1)思念を放送する時間はくじびきにて定めること。

 

(2)その時間は、われわれが被実験者の家ヘ集まる前までジベル氏に知らせぬこと。

 

(3)被実験者はもちろん、その他なんびとにも一切、実験の時間を知らせぬこと。

 

 

 

またこの実験を行なうことについては被実験者には絶対秘密にして知らせぬこと……等

 

 

 

「この実験は遠距離より被実験者に心霊術をかけ、思念を放送して、半マイルほどヘだったジペル氏の家ヘ呼び寄せるのである。

 

 

 

「思念の放送は夜の九時五分前から、九時四十分まで続けて行なうことに決定した。

 

 

 

「わたしたちはジベル氏を家に残して、実験されているB夫人の家へ急いだ。B夫人の家では夫人と料理番とだけがいて、他の家族はことごとく不在であった。

 

 

 

わたしたちはひそかに家の近くに忍び寄って、室内のようすをのぞいて見ていた。夫人がピアノを弾いているのを見とどけておいて、わたしたちは二手に分れて遠くから家を見張っていた。

 

 

 

九時五分前から思念の放送は始まっているのである。九時になった。ピアノの音はハ夕と止んで、あたりは森閑としてしまった。往来には人影ーつ見えなかった。間もなく夫人が門前ヘ現われた。

 

 

 

「わたしらは樹陰(こかげ)に身を潜(ひそ)めて見守っていると。彼女はジッと門前に佇(たたず)んでいたが、暫時(ざんじ)にして庭ヘもどった、

 

 

 

この時、思念の放送者たるジベル氏は思念を集中しているうちに人事不省(じんじふせい)におちいり、九時三十五分まで意識を回復しなかったのである、

 

 

 

九時三十分になると、夫人はふたたび戸口へ現われ、つかつかと戸外に出て來て、なにか用ありげに急いで歩行しはじめた。

 

 

 

樹陰に潜んで彼女を監視していたわたしたちは、彼女の後に従ったが、彼女はわたしたちの存在には気をとめていないらしかった。

 

 

 

「ー息にパール街まで来ると、彼女はちょっと立ち止まって、前へ倒れそうになったが、また足を早めて歩き出した。

 

 

 

その時はちようど九時三十六分で、ジべル氏はもう正気に返ってふたたび思念を放送しつつあったのである。

 

 

 

それから十分後に、わたしたちは彼女の後についてジベル氏の家に到着した。

 

 

 

ところがジべル氏は、自分の実験が不成功に終ったと思ったので、わたしたちを迎えにゆこうとして家を出ようとしていた。

 

 

 

彼女は入口でジベル氏に出会ったが、氏にはまったく気がつずに家のなかヘはいって行き……『どこヘいったのでしよう。ジベルさんはどこヘいったのでしよう」とたまらない悲しいような声でいうのだ。

 

 

 

ジべル氏は書斎ヘ帰っていすに身を埋めて身動きもしないでいたが、とうとう彼女はジベル氏を見つけて『ここにいらした。とうとう見つけた」と子供のように手をたたいて喜んで叫んだ。

 

 

 

こうして、ジベル氏は思念によってB夫人を自分の宅へ呼び寄せることに成功したのである。」

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相第三巻」第五章 思念の力

 

 

 

 

☆ 今年で「生命の実相第三巻」が終わり、「生命実相」は今後掲載しないと書いていましたが、今まで生命の実相第一巻、二巻、七巻、三巻と掲載してきていきなりこれで終わりというのも、お悟りになられた谷口雅春先生が書かれた貴重な本をお知らせしないというのも一信者として申し訳なく思っていましたら、医学博士の徳久克巳先生が「生命の実相40巻」を一冊の本にまとめたのがありました。簡単に何巻にこういう事が書いてあるとありますので、それを来年から掲載させて頂こうと思います。

 

下記がはしがきの一部です。

 

医学博士徳久克巳著

「生命の実相」に学ぶ

 

はしがき

 

ブラジル人に伝道するため、二年間プラジルに滞在さしていただいた時、日本にいる時よりも、多少の暇がありましたので、私は『生命の實相』を徹底的に読みなおそうと決心しまして、毎日毎日ゆっくりと時間をかけて、『生命の実相』を拝読さしていただきました。

 

今まで多少『生命の実相』を、わからしていただいたつもりでいました私でしたが、新しく読みなおしてみまして、今まで、私は『生命の実相』のどこを読んでいたのだろう、と自分が恥かしくなりました。

 

『生命の実相』に説かれている、「人間救いの原理」の深さ、いまだかつて誰も説きあかしたことのない「神観」「人間観」「人類無罪宣言」、

 

新しく拝読してみまして、三十年前にはじめて『生命の実相』にふれた時の驚きに似た、魂の歓喜を感じました。

 

私は、その感動をブラジル人に伝えますと、国境を越え、人種を越えて、彼らも感動してくれて、どんどん救われてゆきました。……