生命の實相第三巻

 

 

 

○ 光明篇 生命円相の真理

 

 

 

なぜわれわれが「生命の実相」の扉をひらく時、医術などではとうてい及ばない驚くベき自然癒能(しぜんゆのう)が発揮されるかと申しますと、人間は本来、神の子としてつくられているという真理を見いだすからであります。

 

 

 

人間の本質は神であり霊的存在である。「神なる人」こそ人間自身の実相であります。自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目であります。

 

 

 

われらの本来の面目は神本来の面目にひとしいのでありますから、われらは自己の全存在のすみずみまでも完全であり、万徳円満であり、自由自在であり不悩不苦であるはずであります。

 

 

 

この真理を知ることは、人をして、あらゆる束縛(そくばく)から解放せしむることになるのであります。しかもこの真理は、人の生命の実相に穿(うが)ち入る者には、誰でも知ることができるのであります。

 

 

 

人の生命の実相に穿ち入るにはこれを霊的に理解する事が必要であります。

 

 

 

頭で真理を理会するということは、真理の種類をどうどう廻りして真理の外的なすがたを知るにすぎませんが、霊的に真理を理会するということは、「生命」の実相そのものに全身全霊をもって貫き入り力の本源をつかむことになります。

 

 

 

全身全霊をもって、生命の実相に貫(つらぬ)き入るには、この書を頭で読もうとせず、全身全霊で読む、黙読する、朗読する。

 

 

 

目で読み、声で読み、声のリズムのなかに自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、行じ終って動き出すとき神(愛)の生活を活きる、かくする時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の實相第三巻」生命円相の真理

 

 

 

 

 

☆ 今日から 生命篇 生命円相の真理 です。

 

「…… 人の生命の実相に穿ち入るにはこれを霊的に理解する事が必要であります。頭で真理を理会するということは、真理の種類をどうどう廻りして真理の外的なすがたを知るにすぎませんが、

 

霊的に真理を理会するということは、「生命」の実相そのものに全身全霊をもって貫き入り力の本源をつかむことになります。… 」

 

と書いてあります。医学博士の徳久先生が谷口雅春先生に神想観していますが、何も変わりませんと言ったら、谷口雅春先生はそれでいいんだ、それでいいんだと言われたという事です。

 

又ある時、徳久先生が谷口雅春先生に神想観をタダで教えるのはもったいないからお金を取りましょう!と言ったら、谷口雅春先生は私は神からタダで教えてもらったからお金は取りませんと言われたという事です。笑!