癌を克服した三つの記録
昭和60年
○癌は「心の状態」のあらわれである
現代の日本では、癌にかかったら殆ど決定的“死病”であって救済の道はないと一般人には信じられているのである。そのために、医師は患者を“癌”と診断しても、患者自身には明瞭にその病名を告げないのが恰(あたか)も道徳であるのように考えられていて、病名を患者に知らせることは恰も、本人に「死刑の宣告」を与えるようだと遠慮されて、妻とか良人とか、親だけに、秘密で病名を知らせておくのが普通のようである。
そのため、患者は、自分で気を廻して、胃癌という診断書を出されないでも、自分で「胃癌」と早合点して途方もない悲喜劇を演じていることが随分あるのである。
しかし、「生命の實相」に書いてあるように「肉體は心の影」という立場にたって考えて見ると、何も癌は恐ろしいことはないのである。癌はやはりその人の「心の状態」があらわれているのだから他の病気と同じように、癌をあらわしている「心の状態」を、平和に調和に、天地一切のものに感謝するように、特に祖先に、父母に、妻ならば夫に、夫ならば妻に、感謝する気持ちを起こさせると癌は消えてしまうのである。
○ 癌が消える話
癌の治療に先立って、もっと簡単な「肉體の塊」である瘤(こぶ)が自分の「精神の変化」によって消えた實例をあげ、「肉體の塊」と「精神の変化」とがこのように、密接に関係するものであることを知る心の地固めをすることにしたいと思います。
それは昭和四十五年○月○日、私は山形県の○市の市民会館で講習会を催したのであるが、その時、山形市に住む○○さん(60歳)が次のような體験談を聴衆生多勢に対してなさったのであった。以下録音のまま―
皆様、有難うございます。(拍手)
私は四月の○○練成第一回目に、浄心行によりまして、膝に出来ておりました瘤(こぶ)の消えた者でございます。その瘤と申しますのは、今年の二月頃に気づきましたが、左の膝の皿のところに、お餅をくっつけたように瘤が出来ておりました。それが少うしずつ大きくなって参りまして、立ったり坐ったりする時に痛みを感じましたり、また左足が、つっぱったような心地がしてまいりましたが、我慢の出来ないような痛みでもございませんので“出るものは、出れば良くなるんだ”ぐらいに思っておりましたがあたりの方達が、「早く行って医者に見てもらってらっしゃい!そのほうが安心だし、そのままにしておいてまた大事になったら困るから……」としきりに勧めて下さいまして、私は斉生会病院にまいったのでございます。
先生は、御覧になりまして「ああこれは貴女、どこかでぶちましたね、それで炎症をおこして、水がたまってますよ…」と仰言(おっしゃ)って注射器で取って下さいましたら、どろどろした赤いジュースのようなものが出てまいりました。しかし、水を取りましても、直ぐまた脹(ふく)れてまいりまして、先生は「一旦こうなりましたら、なかなか治りにくいんですよ、いっそのこと手術したらどうですか?」と仰言いましたが、私は切ることがいやだったものでございますから「溜るたんびに参りますから」と申しておったわけでございます。
私は、練成中には、食事の方のお世話をしておりますので忙しくて、“浄心行”を受けようと思っておりませんでしたが、ふと“浄心行”用に使います火鉢のことを思い出して、この火鉢がこのお正月に私がもと石川県の○○道場におりました時代に、大変御世話になりました○○さんという講師先生がいらっしゃいまして、「立派な道場が出来た」と非常に祝福して下さいまして、○○先生に、「何か必要なものをさしあげたい」と申うし出ましたら、○○先生は「浄心行用の大きな火鉢がないから…」と申して、遙々(はるばる)石川県の○○から送って下さったことを思い出しまして、そうだ!あの御愛念に応えて、練成を受けましょう!と思いたったのでございます。
そして、二階の会場にまいりましたら、もうだいぶ“浄心行”は進んでおりまして、その時に○○先生が、「皆さん、心に思い浮かんだ人に対して、心から懺悔し心から感謝して下さい」という御言葉がございました。さて、私は“誰を思い出し、誰に感謝しましょう、誰に懺悔しよう”と思う気持で、瞑目合掌して心を静めていましたところ、十八年前に亡くなりました主人の顔と、真白い象が浮んで来たのでございます。
私は、晩婚でございまして、父と母が次々と中風にかかりまして看病しております中に、だんだんと婚期が送れたのでございます。
二十七歳の時に、十五歳年上の主人との話が出ましたけれども、なんとなく気乗りが致しませんで、そのままにしておきまして二十八歳を迎えたわけでございます。そして、夏近いある朝に、ふと真白い象に乗っている夢を見たのでございます。夢の中でも、なんとなく不思議で、醒(さ)めてからも、ますます神秘的なものを感じまして、母にそのことを申しましたら、母は大変喜んでくれまして、「貴女は本当にいい夢を見た、吉兆だと、これからあんたは、きっと幸せになる!私のことは心配しないでお嫁に行ってくれ…」と申しますし、私も二十八歳を半ば過ぎようとしておりまして、そろそろ年貢の納めどきかと思いまして、結婚に踏み切りましたその時に、夢に見た象なのでございます。
さて私は、二十八歳の夏に結婚致しまして翌年から次々と五人の子供に恵まれまして傍目(はため)からは“大変に幸せだ。晩婚でも何と幸せだ!”と思われて来ましたが、内面的には、なんとなくちぐはぐで、“これは私が晩婚だからだ。年があんまり違うからだ”と思って一人決めておりました。
そして、よく主人は、「お前は、子供らにとっては真にいいお母さんだな…」という不満のような声もよく聞いたものでございます。
やがて終戦となり、軍需産業で栄えておりました主人の工場も駄目になりまして、私らは新しい活路を求めて、石川県の○○に参り、○○ホテルという旅館を経営したわけでございます。その時初めて、雅春先生の御講話を承りまして、「今を生きる」というお話で真に感銘をうけました。
そして、四年目にはぽっくり主人が脳出血で亡くなったのでございます。それから、五人の子供をかかえての終戦後の生活は、真に苦しく、時には早く亡くなった主人を羨ましいと思うこともございました。また時には、十五年間の結婚生活で、なんとちぐはぐな生活だったろう、あれはきっと私が至らなかったな!と反省することもありまして、その“浄心行”中に過去の十五年間の夫婦生活の闇のひとこまひとこまが思い出されまして、その時はっと気がつきました。
“私は、主人に愛を求めてばかりおったんだ。私は、愛を与えることなしに求めてばかりおったんだ”とそう思いました時に、堰を切ったように涙が溢れてまいりました。私は心から、霊界の主人に謝りました。心から、主人に感謝致しました。 そして、本当に素直な気持で、こんなにも謝ることの出来た私を、自分ながら嬉しいと思ったのでございます。その中に“浄心行”を終りまして、皆さんと一緒に下の部屋に戻りまして、長い間坐っておりまして痺(しび)れた足を摩(さす)っていました時に、左の膝の瘤が消えていることに気がついたのです。
あんまり不思議で、いくらそれを曲げてみても伸ばしてみても、瘤はどこにもございませんでした。あまりの不思議さに、嬉しさに私は飛んで行って、○○先生にお見せしたのです。浄心行に、瘤のことはみじをも考えておりませんでした。
霊界の主人に対し、ただ感謝し、ただ懺悔したのでございます。(拍手)真にも、懺悔と共に消えた瘤でございました。これからも、ますます御教えを行じて、精進致したいと思っております。
有難うございます。(拍手)
以上は、○○さんの左足の瘤が消えた實例でありますが、瘤は、癌のような悪性の腫瘍ではありませんが、「心の固まり」が肉體に象徴的にあらわれたものだという点に於いて、同ー系統の肉體象徴と見てよろしいのであります。それは左の脚に出来た瘤でありますから、“左”は男性象徴であり夫をあらわし、瘤は「ふくれているもの」でありますから、夫に対する不満足、不平の思いが肉體に具体化したものであります。本人はその不平不満足を「何となくチグハグな感じ」というように表現しておられます。
その夫婦生活十五年間に積り積った不平不満足の「思いの固まり」が瘤となって肉體にその象徴をあらわしていた。ところが“浄心行”のときに「私は、主人に愛を求めてばかりおった。愛を与えることなしに求めてばかりおったんだ」と気がついて、堰を切ったように懺悔の涙が流れて来て、心から霊界の主人にお詫びして感謝をした。そしたら不平不満足の思いが消えた途端に、その思いの象徴的具象化である瘤が消えた訳である。
次のような體験があります。
つづく