天皇政治こそ民利にかなう

 

 

 

「大人」と書いて、日本読みで゛ひじり"と読むのは、“ひ“は゛光"であり、゛じり"は著(いちじる)しいという意味で、゛神の子"すなわち゛光の子"であり゛光著し"との御自覚のあらわれであり、世を照らす真の光として自分は此の世に生まれたのであるという尊き自覚である。

 

しかも、この゛聖(ひじり)"の自覚は、自分がひとり尊くして専制君主として立つのではなく、「制を立て」法制を定めるのに、窮屈に杓子定規の制度を設けず、必ず「時に随う」すなわち時代に応じて最も民意を反映した政治を行うと仰せられているのであっで、

 

「苛しくも民に利有(くぼさあ)らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)わん」というのは、民利にかなう政治を行うことは聖徳をもってする天皇政治の妨げには決してならぬ。民利を行うことこそ天皇政治である、と仰せられているのである。君民の利益が一致しているのが、天皇政治下の民主主義なのである。

  
そこで思い出されるのは、仁徳天皇が当時の日本国民が貧しくなっているのをみそなわせられて、三年間租税を免除し、皇居が朽ちて所々がぼろぼろになって雨漏りしても、それを補修し給うことさえ遠慮せられて、三年目に高殿に登り給うて眼下に街(まち)を見渡されると、国民の経済状態は復興して、炊煙濠々(すいえんもうもう)とたち騰(のぼ)って殷富(いんふう)の有様を示しているので、皇后さまを顧みて、「朕は富めり」と仰せられた。そして、
  
高き屋にのぼりて見れば煙たつ  民の窯(かまど)賑ひにけり 
  
というお歌をお詠みになったというのである。天皇は、自已が貧しくとも、国民が裕かであれば、

「朕は富めり」であらせられる。これが天皇政治の中に生きている民主主義なのである。

 

これを民主政治下の代議士が、汚職をもって自分を富ませながら、そして自己の貰う歳費の値上げを

全員一致で議決しながら、国民のたべる米の価格や、国民の足である交通料金その他の公共料金の値上げに賛成するのと比較してみるならば、いわゆる現代の民主政治は一種の特権階級政治であり、

 

天皇政治こそかえって民主政治であることがわかるのである。