⑧愛は刑よりも強し
愛としてのキリスト論 45頁~47頁
皆いふ『されば汝は神の子なるか。』答へたまふ『なんぢらの言ふごとく我はそれなり。』(ルカ傳第ニニ章七〇)
或る霧の深い暗澹とした朝のことであつた。朝食がその日どうしたものか遅れたので、監房全體にいらいらした感じが擴がって行った。さうした全體の感情は一種の雰圍氣となつて周圍の人々に或る影響を與へるものである。
スター・デーリーもさうした感情に捉はれて往つて、何かいらいらしく周圍の人と議論したいやうな感じがむくむくと起つて來るのであつた。デーリーはライファーにかう云つた。―
「君がキリストについていだいてゐる觀念には何か非常に聞違つたものがある。バイブルの中の色々の考への中にも非常に間違つたものがあるやうに思ふ。君はキリストは愛である、少しも汚れない少しも變らない愛だと云ふ。併しどうもそれは僕にはピッタリしない。聖書の中には到る處にキリストが愛以外のすべてのものだと云ふことが書かれてゐるぢやないか。」
ライファーは自分の寝臺の上に腰掛けて廊下の窓から餌をあさりに來てゐる雀たちに向つてパンの數片を與へてゐた。その雀のなかには、トマスと呼ばれる雀や、次にはペテロと呼ばれる雀、第三にはヨハネと呼ばれる雀がゐた。ライファーはデーリーの言葉に答へる代りに、窓の閾(しきみ)の上にゐる雀たちを指さした。そして監房の扉の十字格子の上に小さいパンの一片を置いた。
忽ち一羽の雀が、十字格子のところに飛んで來、そこへとまつて其の餌を啄むと、たうとう窓の閾のところへ飛び歸つて、その他の雀たちと一緒に其處にとまつた。
ライファーは云つた。「あれがヨハネだ。ヨハネは愛だ。愛は一切の恐怖を放ち棄てるのだ。」
やがて第二の雀が廊下を横切つて突進して來た。そして階段の上にあるパンの一片を大急ぎで啄むと、あわててとび退いて往つた。
ラィファーは云つた。「あれはペテロだ。ペテロは信仰をあらはす。彼にはまだ完全な自信がない。しかし、神の護りに信頼することが出來るのだ。あの雀はまだ少々恐怖心がある。神經質で、躊躇してゐる。『私は神を信じてゐる』とこの種の人たちは云ふ。『しかしチヤンスがないのです』と。この種の信仰だけでは足りないのである。彼を大膽に自信ある者たらしむるためにはヨハネの愛を少しく加味しなければならぬのだ。」
三羽の雀のうちのもう一羽はまだ窓の框(かまち)の上に残つてゐて、躊躇逡巡した様手で、自分の手の届くところにある御馳走を疑ひ乍ら、前後に跳び交(か)ふのである。
「あいつがトマスだ」とライファーは云つた。「トマスは理性だ。生命のパンが彼の目の前にハッキリ見えるところにある。併しそれは穽(わな)かも知れないとあいつは疑ってゐるのだ。併し、あいつが、この食物を獲得するにはどうしたら好いかと理性で思ひ煩ってゐる間に、ヨハネやぺテロはもう其処へ歸って来、トマスを促すやうにつつくのだ。よし、トマスのためにこちらから餌を拠(な)げてやるぞ。」かう云って窓から一片のパンを投げ與へた。トマスと呼ばれた雀はそれがなげられるとその餌を追ってそれをとらへた。
「おお」とライファーは思ひ出したやうに云った。「君はキリストのことを何とか云うてゐたけな。それが、どうだったけな。」
つづく