愛は刑よりも強し
はしがき
昭和二十二年の秋九州での講習曾が終った後わたしは暇があるとスター・デーリー著、“Release”を讀んでゐたし、節電で電燈が夜ともらない日が多いので、電燈が消えると私はいつも神想観をして神に呼びかけてゐた。その頃私は、いろいろな事からもつと神に近づきたい気持ちに襲はれざるを得なかったのである。自分の無力さと徳の足りなさとが痛感され、私は完全に神の前に打ちのめされたやうな氣持であつたのである。それだけ私の心のなかに謙(へりくだ)りの情がつちかはれ、その程度に應じて確かに神を呼ぶ回数が殖えて來たのであった。一日幾囘神想観し、黙念し、神に呼びかけ祈ったかわからない。京都の石川さんは「先生でさへあんなに神想観されるから、こら私達あかん」と言って驚嘆された。人々は私を神様扱ひするが、私は神様の前になほ罪人として、「すまない、すまない」と思ひ讀けてゐるのである。私はロスアンゼルスの横田次夫氏から幸便に托され、著者スター・デーリー氏みづからが「君の仕事に対する敬意と賞讃の念をもって本書に題記して贈る」と獻呈の辭を扉に書いて途られたこの書を、その心境に於いて讀むのは私の心を浄めるに大變役立ったのである。私は讀みながら、その要点を書きとつた。それは自分が繰返し讀んで反省するためであつて、人に教へるためではなかった。請はれるままに其の頃の『生長する青年』誌(『理想世界』誌の前身)の毎號に分割してそれを載せたが、それは非常な好評を博した。この文章を讀むために『生長する青年』誌を毎號取揃へたいと云ふ人も多数出て來たので爰に一冊にして上梓(じょうし)することにしたのである。今まとめて校正しながら讀んでゐると、再び打たれることばかりが書かれてゐる事に氣が着くのである。此の書は時として或る人には聖書よりも強く心を打つのである。私が、生涯のうちで私の心を打つた獄中記が二つある。その一つは青年時代に讀んだオスカー・ワイルドの『ド・プロファンデス』であつて、ワイルドも「愛」の美を強調してキリストを「最大の美的生活者」であると説いてゐたが、それを讀んだ後、四十年後に、私は六十歳に近づいてから、キ
リストが「最大の美的生活者」であることを再び見出し、キリストの生活を説いてゐる此の書の中のライファーの言葉に頭が下がる思ひがしたのである。
スター・デーリーよりも此の書の中ではライフア、が寧(むし)ろ主人公である。ライフアー(Lifer)と云ふのは固有名詞ではない。それは終身徒刑囚と云ふ意味のアメリカの俗語である。本名は書かれてゐない。スター・デーリーは彼を常に「ラィファー」と俗称してゐるので、私も、「ラィファー」を彼の固有名詞であるかの如く片假名で書くことにして置いた。彼は終身刑であるから獄から出て來ることはないが、恰もキリストが現代に生きてゐて獄舎にゐたら、此のラィファーのやうな説教をするのではないかと思はれるほど深い教へをするのである。このラィファーの言葉は私にとつては第二の聖書といつても好い。彼は多くの人々を救つてゐるが、これによつて「彼は寧ろ自分が他を救ひ得る特権があるなどとは考へるべきではなかつたので、それよりも彼は、自分が『愛』を行じさせて頂くために神から與へられた『愛の対象』であると見るべきであり、その『愛』を行ずる事によつて誰が救はれるのかと言へば、自分が救はれるのである」などと説くところなど痛く胸を打つ
ものがあるのである。多くの宗致の教師は、「自分が他を救ふ」と高慢になつてをり、「自分が誰かのために 此麼(こんなに)はたらいてゐるのに、感謝されない」などと不平に思つたりし勝ちであるが、此の書はさう云ふ宗致の教師に是非讀ませたいし、自分みづから幾度でも讀んで反省の資料としたいのである。
ライファーは又言ふ。「愛のない説教は未だ嘗(かつ)て一人の魂を救つたことはないし、これからも決して救ひ得ないだらう。人類を愛し抱擁することによってのみ、君は君の魂を救ふことが出來るのだ。」
本書はその初版が出てから二十六年間、今にいたるまで聖書の如くいつまでもすたる事なく讀者から讀者につたへられてひろまつてゐる。昭和四十四年の二月、本書がもつと多くの讀者に觸れる機曾を作りたいと思って新装版として書店に出したことがあつたが、今また「新選谷口雅春法話集」中の一冊として出ることになつた。これを機會に、尚一層多くの人々の魂がこの書によつて救はれることを期待するのである。熟讀を希(ねが)ふ所以(ゆえん)である。
昭和五十年七月一日
著者