その昔、テレホンカードに手を加え、
度数を変価させて、売りさばいていた事件がありました。
その犯人は、直後に逮捕され裁判へ。
検察側の言い分は、
「テレホンカードの度数を変えること自体が
紙幣の偽造と同様の意味を成す」というもの。
対して、弁護側は、
「偽造罪の定義では、形状そのものを
変化させてこそ偽造とする…という考えからすれば、
偽造罪にあてはまらない。国内にそれに該当する
罪が存在しない。」
結果は、無罪でした。
当時の国会では、早速、「テレホンカード度数変価罪」というのが、
立法されましたので、制定以後の同様の事件は、
有罪となっています。
つまり、仮に殺人罪というルールが存在しない国家には、
殺人罪そのものは、存在しない。もし必要ならば、
そのルール自体をつくらなければならない。
そして、制定以後しかその効力は無い。
20年ほど前になります。
こういった罪刑法定主義
・不遡及の原理
などの
刑法概論を雇い入れた警備員の卵たちに
研修を行っていたころ、あの事件が起きました。
そして、今朝、宮崎死刑囚に死刑執行―。
刑が確定したのは2年前なんですね。
事件そのものから約20年。
被害に遭われた子供さんたちが
もし生きていれば、どれだけ素晴らしい人生を謳歌していたのか。
ご家族の方々は、どれだけの悔しい思いをされていたのか…。
そこに、
『 「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)は、
死刑制度の見直しを求める鳩山邦夫法相あての申し入れ書を提出。 』
とのこと。
人権擁護に関する深い部分もあるのでしょうが、、、
秋葉原事件や連鎖する事件(模倣犯)の抑止的な意味、
サミットでのメンツを守るためなのでは…
そんな憶測も飛んでいるようですが、
このタイミング行われると、私も含め、世論の大多数は、
賛同なのではないでしょうか。
またこの記事を読むと
<手記で「絞首刑は残虐」=薬使用を訴え-宮崎死刑囚>
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200806/2008061700449&rel=m&g=soc
残虐な事件を起した身でありながら、自らの人権は主張する
ということ自体、信じられない!そんな怒りが湧き立ってきます。
がしかし、本来は、法によって裁かれているもの。
もしその法自体に問題があるのならば、
死刑廃止の代替案も含めて、国会にて議論すべき。
罪刑法定主義として、一つひとつの法が存在しているのですから、
その中身に何らかの問題があるのであれば、
法自体を変えなければなりません。
つまり、宮崎死刑囚の死刑執行が是か非か…
という議論とは、分けて考えるべきです。
できることならば、
今日、行われたすべての判断や反論が、
政治家の方々の勝手な思い込みやエゴ、私情、パフォーマンスでなく、
法の正義に則って行なわれたことだと強く信じたい。
近々始まる陪審員制度も含めて、
我々、国民側もその視点が感情だけで、
判断できない時代となってきたのではないか…
と考えさせられました。
ただし、自分より経験が浅い人たちに…
『人はなぜ人を殺してはいけないのか?』と問われたら、
『殺人罪になるから』という答え方だけは、禁物。
法やルールはさておき、人として生きる道を説かなければならない。
いや、堂々と説ける大人でありたい。
そのためにも日々、精進、精進…。
合掌―。