2026年6月24日
父が逝去した。
離れて暮らしており、直近で帰ったのが2月。元気とは言えなかった。
そして前の週に母から連絡があり、「最近本当に弱ってきてる」と。
元々1人では歩けず、トイレや食事も母や家族の手をかり、入院も拒否して寝たきりだった。そのまま食事もできず点滴になり、一気に憔悴していったようだった。
先週の平日、たまたまシフトで連休があり、1度顔を見せに行こうと1人で帰省した。
実家に着きすぐにそばに行くと、もう呼吸をしているだけで目も動かず、話も当然できず、たまに返事をするかのように手を動かす程度だった。
午後に着いたのだが、午前とはまた様子が変わってきていたらしく、母が看護師に電話で状況を知らせると、まさかの今日か明日が山かもと、、、
そんなつもりで帰省していなかったので、少々驚きととまどいで、目が見えてるか声が聞こえてるかもわからない父を見ていると、泣けてきて涙が溢れてしまった。が泣いた顔を見せたくもなく、必死に我慢していた。
その晩は、母と兄と自分でかわるがわる仮眠をし、早朝に母に起こされ、5時頃からしばらく父と2人でいると、呼吸の間隔が次第に長くなり、もう時間がない事を認識した。6時17分頃、父が1度舌を動かし大きく瞬きをした後、呼吸が止まった。顔をなでながら手をさすったが反応はなく、この時静かにひきとったのだろう。
しばらくすると看護師が来て、死を確認していた。
目と口はあいたまま、呼吸だけ止まっていた状態で、また息を吹き返すのではないかと、そんな感じだったが時間が経つにつれ身体は冷えてきて完全に逝ったのだと悟った。
そんなつもりではなかった私は、1度自宅に戻り、また翌日新幹線で実家へ向かった。
その日に通夜をとりおこない、晩は母と兄と自分は父の遺体と一晩を過ごした。
そしてその翌日、妻と子供達も帰省し、葬儀と火葬をして、父を送り出した。
高校を卒業してすぐに大学で家を出た私は、父との思い出といえば小学校時代が鮮明に残っている。
野球中継を観ながら晩酌するのが好きな父の影響で野球を始めた私の為、父は庭にネットと照明をつけてくれ、時間があればキャッチボールやバッティング練習に付き合ってくれた。
父の手が痛くなるくらいに強い球を投げて、父が痛がりながら「いい球だ!」と褒めてくれたのが小さい私は自慢げだった。ありがとう。
父が亡くなって、毎日哀しみは感じるものの、普段の生活は変わらずに流れて、いつかあまり気にしないように生活していくのだろう。
そして、ふと何かのきっかけで子供の頃の思い出を振り返り、6月になると看取った時の父の様子を思い出し、父の事を懐かしむ、そんな風になるのだろう。
それでも父は私の中から消えることはなく、我が子の為にいつも野球に付き合ってくれた父として思い出され記憶には生き続ける、私は死ぬまで父を思い出しながら生きていきたいと思った。
父さんへ
心配ばかりかけたよね。
自分も父親になってみてわかるよ。
自分の子供はいつになっても心配だよね。
父さんがしてくれたように、自分も子供達が望む事はいつも味方になってあげたいと思うし、出来る限りの事はしてあげようと思う。自分ができてなかったり迷ってたりしたら夢にでてきて、「こうしな」って言ってね。お願いね。