両親が私を見つめる目、

亡くなった祖父母が私を見つめる目、

部活のコーチが私を見つめる目、

本当に私のことを愛してくれた人が私を見る目


どれも優しさに溢れる慈悲の目でした。


ずっと忘れたくない、大事な宝物。


なのに、逆の目のことばかり思い出してしまうのは何故なんでしょうね。


過去に私のことを虐めた他人の嫌な目


記憶から早く消したほうが私は幸せなのに、こちらのほうをよく思い出しては嫌な気持ちを再現させてしまう。


だけどね、そんなときでも

自分のことを温かい優しい目で見てくれる人たちが存在することを思い出してほしい。


あー、これって物凄く幸せなことだな

今私は凄い幸せな時間を過ごしているんだなって涙がでてきます。


人間ってみんな誰かに愛されてるんですね。


こんな優しくて柔らかい世界で生きたいんです。


どうして他人は私を傷付けてくるんだろうって思います。

外の世界にでることが怖いです。


温かい身内に囲まれて、普通に幸せに生きたいんです。


怖い世界では、私も怖くなってしまいます。

丸腰で行って、攻撃されて、傷付いて、今度はこちらも武装して、警戒して、攻撃されたら反撃してやるって、、


ほんとは柔らかい心で生きていたいのに。


カチカチになって冷たくなっていきます。


自分の居場所は自分で作るしかない。

私はどこで生きればいいんでしょうか。


優しくて柔らかい世界は、外の世界にも存在するんでしょうか。


人と人が優しくなれる仕事はないんでしょうか。


大切な人には幸せであってほしい。


私は優しい柔らかい世界にいるときはとても幸せです。

だけど、外の世界での幸せが想像もできません。


たぶん両親は私に幸せであってほしいと思ってくれているでしょう。

これは本当に有難い、幸せなことです。


だけど分からないんです。

外の世界で私が幸せに生きられる環境が。


結局は自分の心の持ちようや前提次第です。

だからどうしても幸せが遠いんです。


だって、怖いんです。

何もしなくても嫌われて、何かしても嫌われて、悪口を言われ、嫌がらせを受け、そんな記憶が何年経っても上書きされていく。


仕事では直接悪く言われることは少ないし、むしろ直接なら褒めてくださる人のほうが多いです。

なのに、何故か褒めてくれる人の言葉はマイナスの記憶に塗り潰されて、脳内ではまるで無かったかのような扱いになってしまう。


今に集中するしかなくて

そうすると、今は幸せなんです。

私は幸せな環境にいるんだなって

この今を大切にしたいと感じます。


優しくて柔らかい世界。