前回の記事から2日後。
母は帰らぬ人となった。

2日前まで話せていたのに、翌日にはほとんど意識がなかった。
呼吸が辛そうで、一生懸命息をしようと全身を使っていた。
 
8/14の夕方、家族みんなで母の病室に集合した時には、
声が聞こえていたのか、
「母は、あのはちみつ何に使おうとしてたんかな」
って言うと、ガバッと起き上がったりもした。
でも、医師からあと何日も持たないって聞かされて。
お別れの言葉も伝えた。

翌日は台風が来ていたけれど、
「明日の朝には絶対母のところに行かないと」
って何故かそう思った。

朝を待って、9時には病院につくように家を出た。
面会時間は11時からだったけど、個室だしそんなのは無視。
病室に行くと、生体モニターの異常な数値が目に入った。
上の血圧が87しかない。

前日、私が手を触ると払いのけられた。
私の手はいつも熱いので(38度の熱がある母より熱い)、
熱がある母にとって、余計に暑くなるから嫌だったんだろう。

それがあるから、触ることもなくただ母を見つめていた。
それでもまだ生きていることを確認したくて、
手を触った。
とても冷たかった。
でも、その途端。
どんどん血圧が下がり、呼吸数が著しく落ちて、
時々呼吸が止まってる?!と思うような
呼吸をするようになった。

前日も私が触ったら、手を払いのけられた直後に
SpO2が25%まで下がってしまって、
「えっ!?」
と思ったのに、また今日触ったらこんなことに…

誰かが来るまで待ってたんだろうか。
でも私が来るほんの10分前まで父がいたのに。
なんで私なんだろうか。
血圧が下がり始めて30分もしないうちに母は亡くなった。
下がり始めてすぐに父と妹に連絡して、
2人とも30分以内に来られるところにいるのに
なかなか来なかった。

「あかん!おかあさん!!!
お父さんと〇ちゃんがもうすぐ来るから!!!
まだ死んだらあかん!」

って言ってどうにかなる訳では無いけれど、
そう言ってた。

ついに生体モニターの反応がなくなった。
でも誰も来ない。
看護師の詰所に呼びに行って、ようやく看護師が来た。
もしわたしがいなかったら、母はひっそりと亡くなり、
いつ亡くなったかは分からないままだったのかもしれない。
病院とはそんなものなのだろうか。

そのあとは、事務的な手続きとお葬式の準備に追われるだけだった。

入院したまま家に帰ってこられないなんて思わなかった。
だから、家の中もそのまんま。
いつ母が帰ってきても普通に生活できるようにしたまま過ごしていた。
それだけに、それら全てのものが母を思い出させる。

主治医にも会ったけど、御礼なんて言えなかった。
もし、今回の入院の10日前に入院した時。
胆管炎よりもっと進んでいることを見つけられていたら
今でも生きていたんじゃないかって思う。
3日間入院して、ただの胆管炎と診断されて家に帰らされた。
そのわずか1週間後に再入院→ICUに入り血圧が下がりすぎて危ないと言われた。
その後もなかなかすっきりせず、
ようやく肝膿瘍があることが分かった時には
ほとんど時すでに遅しという感じだった。

母は痛みに鈍いので、自分の体の状態が分かりにくいタイプだから、
医者にうまく伝えられなかったかもしれない。
だからこそ、胆管炎って軽く見たのでは。
1週間前はただの胆管炎と言われ、
痛み止めと抗生物質貰って帰宅させられたのに、
1週間後に死にかける?
私は医師のせいだと思っている。

訴訟とかそんなことをするつもりはないけど、
亡くなる1週間前まで危機感のあるようなこと言わなかったし、
リハビリもしてたのに。
この状況をもっと明確に説明しろよって思った。
「もう肺が持たない。。。」
それしか言わなかった。

で?

肺が持たなくなった原因はなんなのか。
今回このようなことになった原因菌は特定出来ていないのか。
だから、あらゆる抗生物質を投与したのか。
なんにも説明していない。
聞いても父が分からないとでも思ったんだろうか。
なので、何もしないけど心の中でこの医師は許さない。

生体モニターの表示が全て消えたのに、消えかける前も消えたあとも
こっちから呼びに行かないと来なかった看護師も許せない。
生前母が
「個室に行くと看護師さんが呼んでもなかなか来てくれないから、個室じゃなくていい」
と言ったことがあるのだけど、こうゆうことなんだなって思った。
その旨も師長に伝えて、ちゃんとするって言われたと思うけど。このザマ。

許せない。許せない。許せない。