【はらどけい】 by SB

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日頃の「喜・怒・哀・楽」を思いつくまま,気の向くまま(写真は1月の京都:比叡山 我が家の近くから)

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相撲で大量に塩をまくことについて、FB友達のAさんがSDGs的にどうなんだろうと冗談っぽく投稿があった。
そこで、大相撲で大量に塩をまく力士を調べてみた。

 初土俵が1954年の元関脇の若秩父(わかちちぶ)
子ども心に覚えている力士でメンコにもあったがあんまりハンサムでもなかったので人気はなかった。
どんぶり10杯のご飯を食べる大食い。出世も早く19歳で小結に。関脇までいったが大関にはなれなかった。
大関昇進が期待された頃、糖尿病を患い十両に転落。
しかし食事制限・禁酒・禁煙を通し稽古にも励み幕内に復帰した。
そんな時、酔っ払いに絡まれ、ただ払っただけなのに酔っ払いが怪我をして、暴力事件として取り上げられてしまう。
この鬱憤を晴らそうと大量の塩を高々とまいた。
以降大量の塩まきが続くことになる。
この時代は昭和42年で塩は一般人には貴重品だった頃だ。
そこで、皮肉って川柳でこう詠まれた。
「塩などは 安いもんだと 若秩父」

1975年に新入幕を果たした「青葉山」も大量の塩まきで有名だ。
当時のテレビドラマで「青葉山みたいに塩をいっぱい持って来い」という台詞があったぐらいだ。
この時代はオイルショックでトイレットペーパーも不足する時代。
大量の塩まきには「もったいない」との批判が出てた。

記憶に新しいのが「水戸泉」
身長192センチの巨漢。大きな手にどっさりと塩をのせ豪快に上に放り投げていた。
まるで雪吹雪。お客さんもそれを楽しんでいた。
「勝てない時は塩を豪快にまき、運を引き寄せては」と進言され実行した。
効能あらたか、この後不思議と勝てるようになり験を担いで大量の塩をまくようになった。
ちなみに一回の塩の量は約600g。伯方の粗塩らしいが会社は喜んでいるだろう。
水戸泉はイギリスの巡業時には「ソルトシェイカー」と紹介されたようだ。

水戸泉に影響を受けて大量に塩をまき、「2代目ソルトシェイカー」になったのが「北桜」
負け越しが決まっていたものの対戦相手の水戸泉には勝ちたいという思いで、水戸泉をまねて大量の塩をまき勝った。これが14日目。
次の日15日目も大量の塩をまいてまたまた勝った。
以降、大量に塩をまくようになり次場所2000年9月場所で引退した水戸泉から、「ソルトシェイカー」の名前を受け継いだ。

十両の旭日松(あさひしょう)
2012年5月場所で、十両の筆頭だったのが初日から10連敗。
「塩を大量にまいたら相手がビビるかも?」と思い、大量の塩をまいたら勝った。
次場所でも、大量の塩をまくようになって勝ち越し新入幕を果たす。
幕内に入っても、大量の塩をまく姿が人気が出て続けていました。
しかし、好事魔多し。自分のまいた大量の塩で滑って負けた。

対千代の国戦。土俵上はまるで雪が降ったように真っ白。
立ち合い、得意の突き押しで攻め立てた旭日松。
なんとその塩に足をすべらせ、思いきり前に落ちてしまった。
(決まり手ははたき込み)。
 まさに自業自得で自作自演。
ぶぜんとして引き揚げてきた旭日松は
「でも、ここで(塩まきを)止めるとダサイので、やめませんよ」。
なんともはや。

 

土俵で使われる塩は1日45kg

1場所で約650kg以上用意されるそうだ。

年間6場所+巡業分を含めると相当な量になる。

年3回の東京場所では1987年から毎年「伯方の塩」が使われている。

製造元の伯方塩業は熱心に大相撲を支援し、塩は無償で提供し、懸賞金も出している。

大阪・名古屋・福岡の各場所では味の素の「瀬戸のほんじお」が使われている。こちらも無償提供。

後述の照強関には伯方の塩から懸賞がついている。

塩は粗塩が使われ、指の間からこぼれにくく、適度な湿り気が手につくのだそうだ。

場所後は塩の混ざった土は産業廃棄物として処分されている。

 

今回(2022年1月場所)では、またまた旭日松の悲劇(喜劇?)が起こった。

前頭十一枚目・照強(伊勢ヶ濱)

 

 

やはり笑ってしまう。

照強がんばれ!
相撲って楽しい。