昔、男がいた。大和国の春日山のふもと、高円の里の女のもとに長年通っていた。この女は春は滝に早蕨の萌え出るを愛し、秋は萩の花を袖に擦ったりして雅びに暮らしていた。
しかし、男は朝廷に勤めているうち、新しく通う女が出来て高円から足が遠のいてしまった。
女は不安に思って、
高円山では 野辺の秋萩が ひっそりと
咲いては むなしく散ってゆくのでしょうね
見に来てくれる人もなく
という歌を送ったが、男は返歌もしなかった。
さて、年を経て、男は都に居辛い気持ちになって、吉野へ移り住もうとした。
高円山のふもとを過ぎるとき、秋萩が朝露にしおたれている景色に、ふと、昔のいろいろが思い出されて、
高円山の 野辺の秋萩よ
散らないでおくれ
君の形見のつもりで
花を見ては思い出すから
と歌ったが、返事をしてくれる者はいない。
草を踏み分け、衣を露にぬらして女の住み家の跡を探したがどうにも取り返しがつかなかった。
この歌は、万葉集に笠金村の歌として出てくる。
高円山に離宮のあった志貴皇子がお亡くなりになったとき、主のない離宮に見る人もなく秋萩が咲いているのを読んだ歌だという。しかし、ある人が、本当はこういう恋の歌なのではなかろうかと語ったのを、ああ本当に、と思って書き記したものである。
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むかし 男ありけり
やまとなる春日山のふもと 高円のさとの女に年ごろかよひけり
この女 春は垂水にさわらびの萌えいづるをめで 秋は萩を袖につけ いときよげにくらしけり
されど この男 宮つかへせるうち 新たにかよふところ いできて 高円にいかずなりけり
女 こころもとなくおぼへて
高円の野辺の秋萩 いたづらに
咲きか散るらむ みる人なしに
と送りけれど 男 かへしもせざりけり
さて 年ごろ経るほどに 都をは 住み憂くおぼへて 男 吉野にくだりけり
高円山のふもとを過ぐるおりしも 秋萩に露しげう置きたるけしきに 過ぎしことども
思ひいでて
高円の野辺の秋萩 な散りそね
君の形見に 見つつ偲はむ
と詠みけれど 返すものなし
草をふみわけ 衣を露にぬらして跡をとへどせむかたなし
この歌 万葉集に笠金村の歌とあり
志貴の皇子の薨せたまひしとき あるじなき高円の宮居に秋萩の咲きけるを読みし歌とあり
されど ある人の
まことはかかる恋の歌にやあらむと 物語りたるを
げにと心得てしるせしなり