近江富士と呼ばれる秀峰 その麓では古代豪族の鉄生産

 野洲川のほとりにそびえる三上山は、近江富士と呼ばれるように、なだらかな円錐形をした秀峰である。標高427mと、決して高山ではないが、他の山地とつながるのが東だけで、三方には野洲川の平野が広がっている。そのため、大変に目立ち、東海道はもとより、湖上の舟や対岸の湖西の寺社からもよく望まれ、近江富士として親しまれるゆえんとなっている。

 

    篠原や 三上の嶽を見渡せば 一夜のうちに 雪ぞつもれる  西 行

 

 この形の山の多くがそうであるように、古代、神が天から降臨する山として尊崇され、頂上には磐座(いわくら)といわれる神聖な岩がある。

 この山の神は天之御影命(あめのみかげのみこと)といい、山麓の御上神社にいつき祀られている。この神は、古事記にも登場する古い神であり、それを祖神として祀っていた古代豪族が、安国造(やすのくにのみやっこ)であった。

 三上山周辺には、甲山、丸山といった前方後円墳がみられ、安国造氏の墳墓かとおもわれる。また、大岩山遺跡からは銅鐸が24個も発見されている。銅鐸が集中して発見されるのは珍しく、しかも生産地が東海から近畿にかけて広範囲に広がることから、安氏の勢力が、全国と関わりをもっていたことが推測されている。

 なお、安氏の勢力源は鉄生産だったかもしれない。三上山には、大きな百足が住んでいたのを俵藤太が退治したという伝説があり、また、近くに「桜」という地名がある。ムカデやサクラの語が鉄生産に関わりが深いことは既に先学の指摘するところである。 これを裏付けるように、三上山周辺の各地からは、鉄滓(てっさい:製鉄くず)が出土している。さらに、御上神社の神は鍛冶の神である。こうしたことから、古代に鉄生産が行われていたとみられ、安氏との関係が注目される。

 

 野洲川は、その安国造氏の名に由来する川である。御在所岳に源を発し、田村川、杣川を合流する琵琶湖最大の流入河川である。下流では湖南の野洲平野を形成している。東海道を行く旅人たちには、三上山と、その麓を広々と流れる野洲川の光景はきっと印象深いものであったに違いない。

 

    吾妹子に またもあふみの野洲の川 安眠も寝ずに恋ひわたるかも  万葉集

     すべらぎの御代を待ちでて 水澄める 野洲の川波 のどけかるらし  大中臣 輔親

 

 〔補注〕

古代鉄生産と近江については、谷川健一 『青銅の神の足跡』、麻井玖美『古代近江物語』

 

三上山(近江富士)