元旦の深夜、今年初めての「朝まで生テレビ(通称「朝生)」が放映された。

何と26周年。僕は11年間のアメリカ在住時を除いて第1回から視聴している。

その司会者が田原総一朗氏だ。

僕は昔、田原が嫌いだった。余りにもリベラルすぎる。というよりも、ノンポリでとにかく強いものをいじめて喜んでいるようにしか思えなかった。

その後、僕の論理的活動が成熟したせいか、あるいは彼が変わったせいか、どういうわけか好きになった。

しかし、昨日の朝生を観て、ああ、やっぱり田原は田原だ、と、非常に嫌悪感をもったのだ。



田原総一朗という人のジャーナリストとしての歴史は彼が40歳を過ぎてから始まる。さんざん暴れまくったテレビ東京を退社してからのことだ。そして、まさに朝生で花開く。

Wikipediaで観てみるといい。とにかく型破り、問題発言や司会者としてどうなのかという批判、時には黒い噂もある。

それはそれでいい。ただ、僕が昨日思ったのは、こういうキャラクターが一般ウケする世の中は危険だと言うことだ。

騒ぎを起こす型破りなカリスマキャラクターを、その言動の是非を追求するというステップなしに、両手を挙げて称賛する。これは政治の世界にも言えることだが、こういう世の中はかつてヒトラーに導かれたドイツ帝国が歩んだように、間違った方向に進みがちだ。

善か悪か、真か偽か、是が非か。そういうことを判断する「英知」を持つこと、そしてそれを育てていくことを忘れた民衆が増えていけば、それはそれで「民意」となり、その民意は必ずしも世の中を良い方向には導かない。

今、没落寸前の日本にはこの「英知」こそが求められているわけで、安倍首相の目指す教育改革、あるいはかつて彼が掲げた「美しい国日本」の精神に、僕は大いに期待している。