『3分朗読』、声のブログの3分という特徴を活かして、

「青空文庫」の名作から抜粋部分を読ませていただきました。

 

 

 ある大都会の大通りの下の下水道に、悪魔が一匹住んでいました。まっ暗な中でねずみやこうもりなんかと一緒に、下水の中の汚物等をあさって暮らしていました。ところがある時、下水道の中に上の方から明るい光がさしていましたので、何だろうと思って寄ってゆくと、下水道の掃除口が半分ばかり開いているのです。悪魔は何の気もなくその掃除口につかまって、そっと外をのぞいてみて、びっくりしました。街中に明るく燈火がともっていて、大勢の人がぞろぞろ通っていて、おもしろい蓄音機の音までも聞こえています。
 

「ほほう、まっ暗な汚いこの下水道の上に、こんな立派な賑やかな通りがあろうとは、今まで夢にも知らなかった。何ときらきら光ってる燈火だことか。何と大勢の美しい人間共が通ってることか。何という賑やかさ華やかさだ。下水の掃除人がこの掃除口を閉め忘れてるのを幸いに、俺おれも少しこの賑やかな通りを散歩してみるかな」
 

 そしてこののん気な悪魔は、下水道からひょいと飛び出して、小さな犬に化ばけて、街路樹の影をうそうそと歩き出しました。昼のように明るい街路、美しい賑やかな人通り、宮殿のようにきらびやかな店先、うまそうな食物の匂におい、楽しい音楽の響き、そんなものに悪魔は気がぼーっとして、いつまでもうろついていました。


 そのうちに夜はだんだんふけてきて、人通りも少なくなり、商店の窓もしめられ、賑やかだった街路が淋しくなり始めました。悪魔はふと気がついて、自分が飛び出したあの下水の掃除口のところへ、大急ぎに戻ってゆきました。ところが、いつのまにか掃除人が戻ってきたとみえて、大きな鉄の蓋がかっちり閉め切られています。

 

青空文庫

豊島与志雄作     「不思議な帽子」より抜粋