無論、そこには、巌丈な木の枠と、沢山なスプリングが取りつけてありますけれど、私はそれらに、適当な細工を施して、人間が掛ける部分に膝を入れ、凭れの中へ首と胴とを入れ、丁度椅子の形に坐れば、その中にしのんでいられる程の、余裕を作ったのでございます。

 

 そうした細工は、お手のものですから、十分手際よく、便利に仕上げました。例えば、呼吸をしたり外部の物音を聞く為に皮の一部に、外からは少しも分からぬ様な隙間を拵えたり、凭れの内部の、丁度頭のわきの所へ、小さな棚をつけて、何かを貯蔵出来る様にしたり、ここへ水筒と、軍体用の堅パンとを詰め込みました。

 

 

ある用途の為に大きなゴムの袋を備えつけたり、その外様々の考案を廻らして、食料さえあれば、その中に、二日三日這入りつづけていても、決して不便を感じない様にしつらえました。謂わば、その椅子が、人間一人の部屋になった訳でございます。


 私はシャツ一枚になると、底に仕掛けた出入り口の蓋を開けて、椅子の中へすっぽりと、もぐりこみました。それは、実に変てこな気持ちでございました。まっ暗な、息苦しい、まるで墓場の中へ這入った様な、不思議な感じが致します。考えて見れば、墓場に相違ありません。私は、椅子の中へ這入ると同時に、丁度、隠れ蓑でも着た様に、この人間世界から、消滅して了う訳ですから。


 間もなく、商会から使いのものが、四脚の肘掛椅子を受取る為に、大きな荷車を持って、やって参りました。私の内弟子が(私はその男と、たった二人暮らしだったのです)何も知らないで、使いのものと応待して居ります。

 

車に積み込み時、一人の人夫が「こいつは馬鹿に重いぞ」と怒鳴りましたので、椅子の中の私は、思わずハッとしましたが、一体、肘掛椅子のそのものが、非常に重いのですから、別段あやしまれることもなく、やがて、ガタガタという、荷車の振動が、私の身体にまで、一種異様の感触を伝えて参りました。


つづく  https://ameblo.jp/sazae-chin32/entry-12606971806.html