「大切な人の幸せを願っている。だから今私はどうしたい?」

最近、このことについて考えることがとっても多い。

 

 

私の大切な大切なエンジェルが、来週月曜日NYCへ海外赴任に旅立つ。

嬉しい時も悲しい時も悩んだ時もなんでもない時も、

連絡を取り合って、一緒においしいものを食べている。

そうでない時も、彼女のことを考えている。

勝手に励まされている。

そんな私の体の一部みたいな人。

 

 

 

海外赴任に行けるかどうか会社との合意を迫られてた時、相談を受けた。

私はもちろん行くべきだと答えた。

彼女のかねてからの目標だったし、そうでなくても誰でも行けるものではない。

きっと彼女の人生で最も素晴らしい一年になるだろう。

このビッグチャンスに手を伸ばすことは当然だと思った。

 

 

彼女には夫がいる。

ご主人は「したいようにするのが良い」と快く彼女を送り出すそうだ。

本当は葛藤もあると思う。

さみしい、心配、不安…

それでも送り出すことに決めたのだ。

 

もちろんそれは私も一緒で、

死ぬほどさみしいし、死ぬほど心配である。

それでも送り出すことに決めた。

 

止めることは簡単である。

それでも彼女の幸せと豊かな人生を願うから。

 

 

 

 

大切な人の幸せを願うとき、あなたはどうする?

 

 

今はやりのnoteもやっています。

よかったら覗いてみてください。

https://note.com/sayu_lyrics

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日受けた転職面接の中で、
以下ようなやり取りがありました。
 
面接官「結婚しているんですね。いつ結婚されたのですか?」
私『7年目になります』
面接官「お子さんの予定はどうですか?」
私『働きたいので、当面予定しておりません』
面接官「それはご主人も一緒ですか?」
 
 
私たち夫婦は、結婚7年目になりますが、子供はまだ居ません。
 
実は、結婚してすぐから今現在も夫の親族を経済的に支援しており、とにかくお金を作る必要がありました。
それなりの給料でのダブルインカムが必要だったので仕事に集中したくて、仕方なくここまで意図的に子作りはしないで来た…という背景があります。
 
もちろん、働けど働けど出産に臨む程の蓄えを作ることが出来なかったことで、子供を望む気持ちが無くなってきたことも大きいです。
そのため、今回もしばらくは仕事に集中するつもりで転職活動しています。
 
 
さて、
面接で婚姻時期を聞かれることは普通の質問の範疇としましょう。
しかし、「失礼ですが」などの前置きもなく、当たり前のように子供の予定や夫の意志まで確認することは失礼ですよね?
 
ましてや、「弊社に入ったらどのように働きたいですか?」などの今後への意欲を見る質問は無かったのに、こんな余計な質問はしてきたのです。
 
 
勿論、採用する側としては「入社後すぐに妊娠されては困る!」というお気持ちがあることは理解できます。
しかし、既婚だろうが未婚だろうが、女性はいつ妊娠するかなんて分かりません。
 
この質問は、受験者を不快にさせるだけで、まったく意味がありません。
ましてや、仕事の能力や意欲には関係ありません。
 
昨今は長年の不妊治療の末に子供をあきらめて働く女性も多く居ます。
いくら面接でも、気軽に触れてよい質問ではないはずです。
 
やはりこのような事はあってはならないと思い、企業の人事にクレームを入れました。
心ある謝罪メールが返ってきたので、もうこのことは忘れようと思います。
 
 
家事に出産に子育てに仕事。
女性の活躍無しには、世の中は成り立たないですよね。
どうか、男性には女性に寄り添う気持ちを忘れないで頂きたいものです。
 
皆さんはこのような気持ちになったことありますか?
 
 

今はやりのnoteもやっています。

よかったら覗いてみてください。

https://note.com/sayu_lyrics

#NOTE#ご紹介

 
 
昨年の8月をもって前職を辞めた。
少し体を休めること5ヶ月。

年もあけたので、ぼちぼち転職活動を始めた。


早速一社受けて、一次面接で敗退。
経験は問わないとのことだったので、これまでの経歴も悪くないはず。
用意周到に会場へ向かった。

会場に入った瞬間から肌で感じるものが良くなかった…
しかし、とりあえず全力で臨む。

面接の話は、
3割どうでもいいこと、
3割はこれまでの仕事について、
3割は子供の計画について。

この、子供の計画についての話が問題。

特に「失礼ですが」もなく、
いきなり「お子さんの予定はどうですか?」とぶっこんできた面接官。

「今は考えてない、働きたいので」と答えたところ「それはご主人もですか?」と突っ込み。
「まぁそうですね」と答えたものの、そこから空気が悪くなり、あとはテキトーな話を少しして、ソッコー面接が終わった。

ああ、落ちたな…という予感は的中。
2日後にテンプレートの名前だけ変えたであろう雑なお祈りメールが届いた。



ちーん。


【30代 既婚 子なし】というワードで検索すると、出てくるわ出てくるわ。
同じように面接で落とされた人の体験談。

中には散々な思いをしている人もいるようで。

私なんかはまだ傷が浅い方かもしれない。

しかし…
いくら採用する企業側としては大事なことなんだとしても、「失礼ですが」の一声もなく超プライベートな子供のネタに触れてくるとは何事だろう。
そもそも雇用機会均等法に抵触するぞ!
と怒鳴り込みたいところだけど、そんなのどこも一緒なのだろう。

気を取り直して、がんばります。

ここ最近は仕事もせず、あまり頻繁に人にも合わずに本ばかり読んで過ごしている。
(あとはダイエットね)



そうなると対話の相手が自分となるため、なかなか面白い現象が起きてくる。
自分の価値観がくっきりと輪郭を帯びてくるのだ。

人とあれやこれやと話したり、外部から色々と刺激を受けていると、多かれ少なかれ影響を受けるので、自分の価値観とか感覚はボーっとしちゃうことが多い。
だが今の私には刺激も比較対象もないため、感情の白黒の付け方や判断基準がわりとハッキリしているのである。

例えば、読書をしていても以前の私なら「なるほどね〜そんな考えもあるのね〜」と思うことでも、最近の私は「ん?!私はそうは思わない。意見が合わないなぁ!」とバッサリ切りすてる。
なんとなく惰性で読者登録していたブログとかも、「最近は読んでいてなんか気分がざらつくなあ」というものに関しては、登録を解除した。

まぁ突然コロッと価値観が変わったわけではなくて、ただただぼんやりしていた感覚が明確になっただけなのだ。

しかし日本で生きていく上では、価値観があまりにもハッキリしていると都合が悪いというか、立場が悪くなることが多い。
日本人というのはグレーを好むので、ヘラヘラしている方が都合がいいことが多い。

価値観を明確に持つのもほどほどにしたいものである。生きるのが辛くならないためにも。
誰にも聞かれたことがないので口に出したことはないが、私は自称「夢見るリアリスト」である。

いつだか後輩に
「私、結構リアリストなんだよね」
と言ったら
「テロリストみたいな響きですね」
と言われた。

夢見る、というのは文字のままで、夢は常に持っている。
がしかし、それ以上にリアリストなのだ。
ぬかるみに突っ込んでるくらいに地に足が着いていないと不安になる。

だから思い切れる人が羨ましい。
でもじゃあ「あなたもやってごらんよ」と言われると「私はいいや」となる。
心のどこかで、思い切れる人のことを別世界の人間だと線を引いているのかもしれない。

類は友を呼ぶとは本当で、私の友人にはリアリストが多い。
あまり突飛なことはしないし、粛々と同じ企業に勤め続けている人が多い。
友人は大体結婚しているが、離婚した人など1人もいない。
彼女たちのそんな姿に、そしてそんな人に囲まれていることに、私は安心している。

もちろんテロリストとまでは行かないが、時々はリアリストらしからぬ突飛なことを考えたりすることもある。
ちょっと気持ちが大きくなったときとかは、夢が広がるものだ。
夫にそれを意気揚々と語ったりする。

でも寝て目がさめると戻っているのだ。
いつものリアリストの私に。
そしてそのことに少しがっかりする。

私はいつまで夢見るリアリストでいるのだろう。

















30歳が近づくと、焦った。
何か変えなきゃいけない気がして。

30歳になったら、ますます焦った。
本当にこれでいいのか分からなくて。

そして今、30歳をすぎてもまだなお焦っている。
この先が不安で。

道が一本なら楽なのに。
沢山の選択肢があるから迷う。
そんな人は私だけではないと思う。



先日、親友の1人から相談を受けた。
海外赴任のチャンスと転職のチャンス、2つが同時に訪れたのだ。

彼女はとても悩んでいた。

私は
「あなたの本当にやりたい方を選べばいい」
そんなありきたりな言葉しか見つけることが出来なかった。

こんな時どんな言葉が有効なのだろう。



でも1つ言えることは、これまで誠意を持って務めてきたことに対する神様からのご褒美がいっぺんに来ただけ。

どちらを選んでも彼女は幸せになるだろうし、どちらを選んでも悩むこともあるだろう。
あの時ああしていれば…と後悔することもあるかもしれない。

どっちでもいいのだ。
きっと。
どちらでも、キラキラした未来に繋がっている。
どの道を行くかが大事なのではなく、誰が歩くのかが大事なのだから。






女の友情はハムより薄い。
そんな言葉がありますよね。

皆さんはどうですか?


私の考えは、
女の友情ほど厚いものはない。

もちろん、中には薄い関係もあると思います。
でもそれは、友情とは言えないものだったのではないでしょうか。

一旦結ばれた女の友情や絆ほど強いものはない、この歳になってつくづく実感しています。

久しぶりにあっても、昔のように笑いあえる。
話すことが沢山ある。
会えない時間もお互いの幸せを祈っていた。
…これって、男よりも濃密なのではないかしら。

さいきん、10年ぶりに再会した友がいます。
つい最近入籍したとのことで、とても幸せなオーラを放つ彼女のお陰で素晴らしく温かい時間を過ごしました。



しばらく会う機会がなかったけど、心の中ではお互いのことを考えていた。
これってなんて素敵なことなのかしら。

相思相愛は男女の仲だけに言えることではない。むしろ同性同士に言えることなのかもしれません。

皆さんは心の中にいる友達がいますか?



先日、親友と四日間の宮古島旅行に行ってきました。

人生初の沖縄でしたが、日本にこんなに美しいところがあるのだとかなり驚きました。


久しぶりに親友と長い時間を過ごしました。
すんだ空気を吸って、綺麗なものを見て、前向きな話を沢山して、バカみたいなことで沢山笑って、美味しいものを食べて。
心と身体が解放されました。


居酒屋では、島在住の方とお話ししたりして楽しい出会いがありました。

たまに環境を変えてみることは大事ですね。
視野が広がるし、視点も変わる気がします。


こんにちは。

私は今仕事を辞め、束の間の休息時間を過ごしています。
年明けにはまた動きだす予定ですが、今は少し充電が必要なのでは無いかと思い、思い切って休息をとっています。



毎日ゆったり過ごしています。
大好きな人に会ったり、ハローワークに行ったり、ジムやヨガに行ったり。
それ以外はだいたいバルコニーで葉加瀬太郎を聴きながら本を読んでいます。


6年前にも、少しだけ仕事をしていない期間がありました。
その時はとてもとても焦っていた。
何かしなきゃ!働かなきゃ!

しかし今は違います。

人生これからのほうがずっと長い。
だったら必要と感じる時に休息をしてみた方が、残りの人生にいい作用があるのではないか?

母も言っていました。
人生は長い。
1年や2年のことを、重く受け止めることはない、と。

人生の尺度をどう捉えるか。

若い時は、そりゃぁ焦ります。
経験して来た人生の尺が短いから。
でも今はわかる。
焦って大事なことを見逃すほうがよっぽど怖い。

大切なことを心身いっぱいを使って感じたり味わう。
そのことが、余生をより豊かなものにしてくれることもあるのではないでしょうか。


人生にとって大切なことって、思ってるより多くない。
すごくシンプルなのかもしれないです。