東日本大震災
メディアによって呼び方がまだ定まってないですが
早速名前がつきましたね。
皆様大丈夫でしょうか。
まだまだ被害の全容がわかりませんが、亡くなった方も
多数いらっしゃるようで、心が痛みます。
私は昨日は仕事だったので、東大のとある建物の
11階で調べ物をしていました。
すると、ちょっとした揺れが始まり、その場で
目があった方とは様子を見ましょうという感じで
うなずき合いましたが、揺れはおさまらないどころか、
どんどん大きくなってきます
そうこうするうちに何かにつかまらないと
立っていられないほどの揺れになりました。
私はとにかく一番重そうな書棚を押さえるような、
つかまるような格好でいました。
間仕切りの大きなボードが倒れたり、割合大きな
棚が倒れたりしてそれにぶつかった人もいましたが
それどころではなく、揺れがおさまるまで
必死につかまっていた感じです。
東大内には新しい建物も古い建物も混在しています。
古い煉瓦の壁の建物にいた人たちはみんな外に
避難していました。
私がいた建物は新しいので、そのまま建物内に
とどまって様子を見た方がよいだろうということで
余震が時々来る中、それぞれの研究室に戻ったり、
テレビで情報を見たりしていました。
私も研究室に戻りましたが
積んであった本はバラバラと落ちて散乱し、
ホワイトボードなどのちょっとした什器が倒れて
いたものの、大きな被害はなかったです。
本棚が全部倒れて大変なことになってるお部屋も
ありました。
(地震対策してなかったのかな。)
それより、地震発生時刻がちょうど下の子の
下校時刻と重なる時間帯。
子供達のことが心配です
家にいるダンナは、大の男なんだからなんとかしてる
はずだわ、とあんまり心配もしてませんでしたが。
だって、設計士さんが耐震構造にすごくうるさくて
さんざん検討して作った、超堅牢な家に住んでますし。
一般の木造家屋なのに、液状化の心配な地域だからと
杭打ち30本、6メートル地下まで達しています。
でも当然電話はつながらず、メールも届かず。
ネットが一番早そうなので、ネットで状況確認。
ミクシィでは友人達がいち早く書き込みしてたので、
私もとりあえず書き込み。
ダンナはツイッター派だけど、あたしはフォロー
してないからわからない・・・
その間、ダンナは私のYahoo IDのほうに連絡入れて
くれてたみたいです・・
そのうち学部長が館内放送で、
「なるべく早く帰宅してください」って。
でも電車動いてないでしょ。
家が遠い方は「ここに泊まるかな・・・」
私ももう少し様子をみようかと思いましたが、
このままここにいてもいつ電車が動くかわからない。
連絡のとれない家族も心配。
ボスと連絡がとれないのも気になりましたが、
とにかく部屋と仕事を整理して、
業務報告のメールを送って、
歩いて帰ることに。
10キロはないから、なんとかなるでしょう、
ってことで、おやつに買っておいたチョコと
お水をバッグに入れて出発。
本郷から上野駅経由でトコトコ・・・
バス停がものすごくごった返してました。
こんなの見たことないヨー
っていう長蛇の列。
上野公園の不忍池のまわりもバス待ちの人がすごく。
上野駅にもずいぶん人がいました。
とにかく大量の人が歩く歩く。
これなんの競歩大会?
みたいな感じでみんなスタスタ歩いてました。
お姉さん、そんなパンプスでよくスタスタ歩くなあ。
でもオフィスで履いていそうな楽ちんシューズで
歩いている人も結構いて、それ賢い!
また、会社から支給されたのか、
ヘルメットをかぶって歩いている人たちも
結構見かけました。
いい会社なんだろうなあ。
私も最初はスタスタ派でしたが、徐々にノロノロ~
最後のほうは足の悪いおばあさん?
みたいなことになってました。
最寄りの駅に近づくと、銀行が何件もありますが
そのロビーが開放されていて、帰れないと思われる
人たちが中に座っていました。
中にはカップラーメンを食べてる人なども。
家に着いたのは出発から2時間半後でした。
子供達をぎゅうーっとして、
とにかくビールを流し込みました。
ダンナは近所で調達してきたカップ焼きそばなどで
夕飯を用意していてくれました。
ありがとう。。
今回歩いて思ったこと。
つくづく、
靴は良い物をはいたほうがよい。
足を変にかばいながら歩いていたせいか、
今、腰が痛いです。
あとは、
なるべく陽があるうちに行動した方がよい。
ってことです。
夜は寒さで余計な体力を消耗しますね。
お気に入りの食器が何枚か割れてしまったのは
ショックだったけど、私の知ってる人たちも
誰も怪我人がいなくてよかったです。
長くなってしまいました。
今後も一人でも多くの方が救出されること、
連絡の取れない方が無事でいらっしゃること、
祈っています。
メディアによって呼び方がまだ定まってないですが
早速名前がつきましたね。
皆様大丈夫でしょうか。
まだまだ被害の全容がわかりませんが、亡くなった方も
多数いらっしゃるようで、心が痛みます。
私は昨日は仕事だったので、東大のとある建物の
11階で調べ物をしていました。
すると、ちょっとした揺れが始まり、その場で
目があった方とは様子を見ましょうという感じで
うなずき合いましたが、揺れはおさまらないどころか、
どんどん大きくなってきます

そうこうするうちに何かにつかまらないと
立っていられないほどの揺れになりました。
私はとにかく一番重そうな書棚を押さえるような、
つかまるような格好でいました。
間仕切りの大きなボードが倒れたり、割合大きな
棚が倒れたりしてそれにぶつかった人もいましたが
それどころではなく、揺れがおさまるまで
必死につかまっていた感じです。
東大内には新しい建物も古い建物も混在しています。
古い煉瓦の壁の建物にいた人たちはみんな外に
避難していました。
私がいた建物は新しいので、そのまま建物内に
とどまって様子を見た方がよいだろうということで
余震が時々来る中、それぞれの研究室に戻ったり、
テレビで情報を見たりしていました。
私も研究室に戻りましたが
積んであった本はバラバラと落ちて散乱し、
ホワイトボードなどのちょっとした什器が倒れて
いたものの、大きな被害はなかったです。
本棚が全部倒れて大変なことになってるお部屋も
ありました。
(地震対策してなかったのかな。)
それより、地震発生時刻がちょうど下の子の
下校時刻と重なる時間帯。
子供達のことが心配です

家にいるダンナは、大の男なんだからなんとかしてる
はずだわ、とあんまり心配もしてませんでしたが。
だって、設計士さんが耐震構造にすごくうるさくて
さんざん検討して作った、超堅牢な家に住んでますし。
一般の木造家屋なのに、液状化の心配な地域だからと
杭打ち30本、6メートル地下まで達しています。
でも当然電話はつながらず、メールも届かず。
ネットが一番早そうなので、ネットで状況確認。
ミクシィでは友人達がいち早く書き込みしてたので、
私もとりあえず書き込み。
ダンナはツイッター派だけど、あたしはフォロー
してないからわからない・・・
その間、ダンナは私のYahoo IDのほうに連絡入れて
くれてたみたいです・・
そのうち学部長が館内放送で、
「なるべく早く帰宅してください」って。
でも電車動いてないでしょ。
家が遠い方は「ここに泊まるかな・・・」
私ももう少し様子をみようかと思いましたが、
このままここにいてもいつ電車が動くかわからない。
連絡のとれない家族も心配。
ボスと連絡がとれないのも気になりましたが、
とにかく部屋と仕事を整理して、
業務報告のメールを送って、
歩いて帰ることに。
10キロはないから、なんとかなるでしょう、
ってことで、おやつに買っておいたチョコと
お水をバッグに入れて出発。
本郷から上野駅経由でトコトコ・・・
バス停がものすごくごった返してました。
こんなの見たことないヨー
っていう長蛇の列。
上野公園の不忍池のまわりもバス待ちの人がすごく。
上野駅にもずいぶん人がいました。
とにかく大量の人が歩く歩く。
これなんの競歩大会?
みたいな感じでみんなスタスタ歩いてました。
お姉さん、そんなパンプスでよくスタスタ歩くなあ。
でもオフィスで履いていそうな楽ちんシューズで
歩いている人も結構いて、それ賢い!
また、会社から支給されたのか、
ヘルメットをかぶって歩いている人たちも
結構見かけました。
いい会社なんだろうなあ。
私も最初はスタスタ派でしたが、徐々にノロノロ~
最後のほうは足の悪いおばあさん?
みたいなことになってました。
最寄りの駅に近づくと、銀行が何件もありますが
そのロビーが開放されていて、帰れないと思われる
人たちが中に座っていました。
中にはカップラーメンを食べてる人なども。
家に着いたのは出発から2時間半後でした。
子供達をぎゅうーっとして、
とにかくビールを流し込みました。
ダンナは近所で調達してきたカップ焼きそばなどで
夕飯を用意していてくれました。
ありがとう。。
今回歩いて思ったこと。
つくづく、
靴は良い物をはいたほうがよい。
足を変にかばいながら歩いていたせいか、
今、腰が痛いです。
あとは、
なるべく陽があるうちに行動した方がよい。
ってことです。
夜は寒さで余計な体力を消耗しますね。
お気に入りの食器が何枚か割れてしまったのは
ショックだったけど、私の知ってる人たちも
誰も怪我人がいなくてよかったです。
長くなってしまいました。
今後も一人でも多くの方が救出されること、
連絡の取れない方が無事でいらっしゃること、
祈っています。
