1〜2ヶ月に一回くらいでゆるゆるとしております。
教本を音読し、一緒に課題をして、とても楽しいです。
今日はどうしても書かなくては!と思ったのは、「いくつかの指定された音を弾いて、描写したり比較する」という課題でとっても面白い体験をしたことです。
奇しくも昨日はオイリュトミーの後に音楽オイリュトミーの理論の勉強会があり、「調」について、議論していたところでした。不協和音とは?ある特定の調にはそれ固有の性質があるのか否か?
途中、穴田さんのピアノの音を聴きながらの全くもって贅沢な勉強会でした。
答えがすぐにでるわけではありません。
でも問いをぶら下げておいて、音を音楽を聴く時に、ふっとその音の質を感じたり印象について考えてみたりイメージを拡げてみたりすることが、自分自身を育てることになるのではないかしら?と思った次第です。
「何をしても自分がでる」とは昨日のオイリュトミーの仲間のみなさんと話していたことです。ならば自分自身を切磋琢磨して育てることが人生の意味かなと思うものです。
やり方はそれぞれ好きなことでいいのでしょう。だから夢中になれるものに、どんなことであれ、エネルギーを傾けることをサポートしたいと思うのです^ - ^。
ちなみに、「シ」の音はわたしには、まずはなにか引っ張られる重みを持つ音として聞こえました。あと少しで解放されるのにーというような。ちょっと苦しい感じがある。
すると
シの音はいつも弾く音とYさんが言ってくださったのでした。即興で自由に弾くとき、シを弾かないことはまず無いと。
なるほど、シがあると無いとではやはりあった方が断然いい、必要不可欠なんだね〜という話題から、「シはお母さんなんだ!」と閃いたのです。
家族の世話や家事をすることで世界を下支えしている「お母さん」!。シの音が無いと、頼りになるものが無いような物足りなさという言葉では言い足りない何かがあるような。
そうは言っても、シを使わない曲はそれはそれでやっていける。それは自由なんだね〜などと笑いました。そのくらいの軽やかさを持ってお母さん業もしていきたいですね〜。シのままでは結構疲れるんです。背負う荷物が重くって😅。でも同時にお世話は喜びであり、必要不可欠な存在としてそこに厳然とある、とでも言うか。そうして循環するというか。
ちょっと書き過ぎてしまいましたね。
とこんな調子で音を描写する こと、つまり印象を自由に語り合うこと、とっても楽しかったのです。✨
ご一緒してくださったYさんの洞察もとても刺激になりました。今度たくさんの人と出来るといいなと思います。
使っているテキストは牛山了子さんに進めていただいたこちら。