日曜日に金沢で行われた「山口いっこさんの子育てワーク&とーく」
ひとりでも多くの困っているお母さんを助けたい!といういっこさんの思いがとても伝わって感動したワークでした!
沢山の心に響く言葉を受け取りました。その中で、
子どもの「分からない」を受け止めること、これを新しく受け取れた気がします。
今進路に迷う高3の長男。
つい、どうしたいに?と聴きたいし、考えさせたい、欲望に囚われてました。
今年中に方針を決めるといいですよと、いろんな方面から言われていて…。
でも、「今は」わからない、、考えたくない、それも、この17、18歳の頃、当然といえば、至極 当然。
「もしかしたら、明日は、分かるかもしれない。」
ね、
それを、・・・なんだろう、期待するのとは違う。
言ってしまうと、信頼して待つことなんだけど。信頼っていうのは、信用と違って、だめでも仕方ない、っていうこと。こちらの期待はこちらの期待であり、それに応えてくれるかどうかは、分からないけど、それでもいい、という状態?なんですよね。
実際ね。最終的に困ることになっても、本人が責任をとれるように、やり方を教えておけばいいわけだし。
親はつい回り道なく過ごして欲しいように思ってしまうけれども。(私自身を見ても、40になるまで迷っていたのかもしれない。今も迷っている部分もありますしね(^^)。瞑想を伝えることを仕事にすると決めて、それからそこの部分では迷わないけれども、表面ではまだまだいろいろありますからね。)
ほんとうに、今できることは、待つことだけ。
彼の中の聡明さに語りかけるつもりで、日々応対しています(忘れることもあるけどね)
で、そんな気持ちでいたら、その日の夕方、長男に質問されました。
唐突に
「ママ、幸せって何?」
「え?」と聴き直したら、パソコンを振り返りながら、
「あなたにとって幸せとは何ですか?」と、問われた。
パソコンの動画か、なにか、参考にしよう、と思って聞いてくれたようなんだけど、謎。
「いっちゃんはどう思うの?」
と、とりあえず開いた質問で返した。
「う~ん、そうだなあ、・・・どうだろう・・・幸福、幸福・・・・幸運みたいなものかなあ?」
・・・中略(というか忘れた)
で、わたしは、こう答えました。
「そうだね、ママはね、だいたいいつも幸せなんだよね。
例えば、夜、疲れて寝るとき、あ~横になれるお布団があって幸せ~って思うし、・・・・(あれもこれも)・・・
今は、いっちゃんに、幸せって何?って聞かれて、答えてる、こうやって話ができることも幸せだし」
というと、「そうか!」とくるっとまたパソコンへ向かいまして・・・。
それでよかったんだね・・・
なにかほっこりとした夜のひと時でした。