友人が遺してくれたもの | Leela Forest 〜LOVING プロヒーラーSayuriのblog

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本来の自分自身に還ることで、人は幸せになっていくのだと思います。
LOVINGプロヒーラーのSayuriからのおしらせや日常で感じたことなどをお伝え致します。

6日前、友人の死の知らせを受けた。

急すぎて、何だか呆然となり、座り込んでしまった。

 

しばらく会ってなかったが、台風の被害をきっかけに、毎日会うようになり、ほんの数日前にも2人で話をしたばかりだったから。

 

体の力が抜けてしまって、座り込んだまま、ここ何日間の彼女との時間、交わした言葉、彼女の表情が次々とよみがえっては、その度に、何の力にもなれなかった自分というところに着地してしまう。

 

「苦しくて消えたい。毎日そのことばかり考えている。」

 

「苦しいの。でも本当には、この状態から変わること(幸せ)を望むこともできない。」

 

「全てから逃げたいと思う自分をどうすることもできない。逃げたって何の解決にもならないこともわかってるんだ。

そして、たとえ逃げて死んだりしても、これが来世に持ちこされるだけなのもわかっているから、それも嫌だしなぁ。」

 

そう言った彼女に、

「そうだよねぇ。それって結構めんどくさいよねぇ。」と答えた私の言葉に笑ってたのに・・。

 

あの日は、確かに生きて私の隣にいたのに、今はもうこの世界にいないなんて。

 

思い出す全てのシーンに、

彼女の思いを聞いた私という人間が、愛というところに立てていたのか、

彼女の全てをただジャッジなく受け入れたい。それが、あの時の私の精一杯だと思っていたけれど、

それはあまりにもちっぽけな、自己防衛もありつつの愛に過ぎなかったのではないか。

 

自分が愛としていたものに対する、いや、自分自身に対する疑いや批判、否定が心の中で渦をまきだしたけれど、

それと同時に、「彼女の死をそんな簡単に、私自身の自己批判や自己憐憫にひたることで、ひとりよがりに終わらせるなんて違う。」

そんな気もした。

 

その晩、眠れずにベッドの中で、「罪と罰、許し」について彼女と話したことを思い出していた時、

ふと彼女の存在を感じ、

「それでも私は許されていると思う?」という彼女の声を聞いた(気がした)

「もちろんだよ。例外なんてない。許されているって私は思うよ。」

そう答え、いつの間にか眠りに落ちた。

 

翌朝、目が覚めてまた彼女のことを考えていたとき、自分の遠い過去の記憶をみた。

一度みていた過去世の記憶だったが、まだみていない続きがあって、

そこで私は、絶望と共に、愛の定義を「相手の役に立つこと」と決めてしまっていた。

 

私の人生で長くやってきた「自己犠牲」のパターン。

そして今回のことでも、私の愛がもっと大きかったらもう少し何かできたのでは・・と感じる自分。

 

あの日聞いた彼女の深い自責の念は、私のものでもあった。

「そうか。そうだったんだ・・」

そう思って涙があふれたら、その先に笑っている彼女がみえた。

勘違い?もしくは、私の希望的妄想?そう思って何度も確かめたけれど、何度みても彼女は穏やかに微笑んでいる。

 

その瞬間、すべてが愛だということ。彼女とも深く繋がっていることを感じて、また涙があふれ、幸せな気持ちにつつまれた。

 

自死という選択について、いろいろな考え方があるだろうが、

彼女の美しい魂は、本当には何も損なわれず、きっとまた生まれ変わり、そこでもまた自分の選択を生きるのだろう。

 

彼女との最後の時間、私にとってそれは間違いなくギフトだった。

残された者にとっては、哀しい死の中にも愛があり、一度与えられた愛はその人の中に刻み込まれ、二度と消えることはない。

 

彼女の葬儀の日は、久しぶりにいい天気で、気持ちのいい風が吹いていて、青い空がどこまでもきれいだった。

 

どこかでまた会えたら、今度は幸せについて語り合いたいな。

心からそう願う。

 

「ブログ始めたんだ。まだぜーんぜん書けてないんだけど・・」

あの日、そう彼女に言ったけど、まさか彼女のことを書きたくなるなんて、当たり前だけどあの時みじんも思っていなかった。

 

でも、私が感じた彼女の愛を書きたくなって、文章はうまくまとまらないけど、自分のために書きました。

 

長文を最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

私と出会ってくれた彼女に、

愛と感謝をこめて。

いつかまたどこかでね・・。

心からありがとう。