いろいろな変化が起こり
期せずして、まっさら更地状態を生きている今の私。
生きていると、こうして
全てを手放して、
どう在りたいかどうしたいかを
自分自身に意識的に問い直すしかないようなタイミングがきたりする。
(私は個人的にこれを「ゼロポイント」と
呼んでいます。
例えば、突然のリストラや病気なんかで
このポイントにきたりすることもありますよね)
今の私を評して、ある友人は
「まるで吉幾三の歌みたいになってるやん!」(笑)
(例の「〇〇もねぇー。〇〇もねぇー。」とかってやつね。 た、確かにね…!😅)
そんな、ゼロポイントの今。
意識しているのは
「今ここ」「この瞬間どうしたいか」を
丁寧に感じながら、全てを自分に許可して生きること。
先のことはなんにもわからない。
でも、自分自身を観察しながら
とにかく「今ここ」を精一杯生きてみる。
「今この瞬間を生きる」
それを本格的にやり出したらこそ
今回このゼロポイントにきたとも言えるので
ならば、中途半端にせず
もっともっと「今」を意識して生きてみよう。
今まで、本当にはそうして生きたことがなかったから、この機会に本気で実験してみよう。
などと思いつき
とりあえず、今月は焦って外側の現実をなんとかしようとせずに
「今」だけ意識して、自分の内側の意識、自分の在り方に集中して生きてみる。
そう決めました。
そうして過ごしてみて
自分がどういう感覚になってくるのか
内側からどんな望みが出てくるのか
そして、それによって外側の現実がどうなっていくのかを実験検証してみたくなったのです。
この実験をやり出して
何が起こったかというと
まず、怖れや不安がなくなりました。
前回のブログにも書きましたが
https://ameblo.jp/sayuri191123/entry-12746591688.html
安心感の中で毎日を生きている。
「今この瞬間はなんの問題もない」と感じる。
毎日、自分の身体が瞬間ごとに感じる体感覚や
自分の内側から沸き起こる感情を
静かに観ている。
どんな意味があるとか
何になるとかは全く考えないで
その時自分がやりたいことを丁寧にやる。
そして感じる。
そんなシンプルな毎日。
そこになんの意味もないかもしれないけど
満たされている感覚が確かにある…。
でも先日、ふとある瞬間に
「本当にこんな風でいいのかな?私…」
という疑いの気持ちが湧いたのです。
「今を生きるとか言ってるけど
もしかして、ただ現実逃避してるだけなのかな?」と。
だってそこだけみたら、いろいろ厳しい現状なのに
未来を心配しないで幸せを感じて生きてるって、
私、なんかおかしくない⁈みたいな。
(今度は、少しも不安にならない自分に不安を感じたわけです。
不安ってどこからでも引っ張り出せるものですね σ(^_^;)
でも、その思考の次に私の中から出てきたものは
「今湧いて出た思考、さも正当な感じのこれって一体誰の意見なわけ?」
(もちろん、誰からも言われていない)
という自分へのツッコミでした。
急に今の自分の在り方に自信がなくなったけど
(きっと無意識にある)
「こういう時はこうなるのが当たり前」
みたいな感覚は一体どこから来ているのか?
それって、いつの間にか刷り込まれた
「型」なんじゃないかなと思いました。
集合無意識からか
過去の経験からかわからないけど
さも正しいことのように自分に圧をかけてくる
思考。
お金や仕事がないなら、不安になるのが普通
とか
不安があるなら、それを解消するための(未来に繋がる)行動するのが一番だ、とか
「こういう時はこうなるもの、または、こうすべき」などという、いつの間にか自然に思ってしまう思考パターンみたいなものがある。
(昔からよく言われている「男(女)の子なんだから」というのも「型」の一つですね)
でも、本当に大事にする90べきなのは
自分の選択が自分にしっくりきているかどうか
どんな選択でも
本人にとっての正解はその人にしかわからないのだから
無理して何かに合わせる必要なんてない。
誰かや社会に対してではなく
その時の自分にただ誠実に
自分にとっての本当を生きればいい。
そう思いました。
ほかのものを何もなぞらなくていい。
既にある「型」に自分を当てはめなくていい。
何を選ぼうと本当は間違いなんてない。
(生き方に正解不正解がある、というのがそもそも幻想に過ぎない)
どのみち結果は全て自分が引き受けるのだから
それさえわかっていれば、現実逃避にはならない。
それに気づいた途端にすっかりまた気が楽になり
どんな型も手放して
自分を生きていこう。
改めてそう思ったのでありました。
そして私の「今ここ」実験検証はまだまだ続く…笑