今回の舞台で
素敵なパパを演じてくださった
上条恒さんが

ツムギ家ファミリーへ、
イメージしやすいようにと
稽古中、
物語を書いてくださいましたドキドキ

あまりに素敵すぎる内容で
読みながら涙してしまいましたしょぼんキラキラ

なので
皆様にも読んで頂きたく
パパの了承を得て
今回Blogに載っけますアップアップアップ

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紡木家の家族たち 
紡木 浩市55才 可南子55才 
恵26才 春21才 緑19才 笑16才 
 
住まいは、 神奈川県三浦郡葉山町堀内 海の近くにある小さな平屋の借家 
 
浩市は東京の文京区の出身 
父や母を知らず、
叔父が営んでいた工務店で育った。 
大学時代のスキー部で主将をするくらい
スポーツマンだった。 
 
可南子は神戸の出身である。 
電気工事を請負う会社を営んでいた
裕福な家庭に生まれ、
妹共々、歌やバレエ、ピアノなど習い、
何不十無く育てられたが、
9才の時、 両親が海外旅行で、
乗っていた飛行機が墜落し、
姉妹は両親を失い祖母に育てられた。 

猪木ファン の祖母も
一人暮らしだったので 
2 人を可愛がって育ててくれました。 
この祖母が底抜けに明るく、
可南子は大いに影響を受けていた。 

高校を卒業し、
オペラ歌手になりたくて、
音大に行きたかったのを
お金がかかるから断念し、
短大の幼児教育科に行く事に。 
 
二人の出会いは信州のスキー場だった、
大学のサークルのスキー大会で
遊びに来ていた可南子は
浩市に一目惚れした。

可南子は友人の助けで
浩市とフォークダンスはするものの、
浩市はその時
別の女性に心を寄せていて、
可南子はあえなく撃沈するが、
その時の言った可南子の台詞は

 『あなたと出逢うために生まれたの、
あたし!!』 

・・・・・・ 浩市ははっきり言って
寒かった ・・・ 
 
数年後二人は「東京」で再会する。 
浩市は叔父の工務店を継ぐ前に、
大手建設会社に就職した。
その会社に可南子も
就職していたのである。
二人は同期入社だ。 

『ここで出会ったが!三年目!!
逃さないわよ !! 』可南子。 

ここでもまた浩市は、
別の女性を追いかけていた。 
しかし可南子と浩市は
妙に気が合ったのだ。

同期という事もあったが、
よく酒を飲み交わし、
悩みも打ち明け合った。
浩市の恋愛相談の相手は
可南子先生だった。 
 
入社4年目に浩市の叔父が倒れた。
たった一人の肉親の為、
浩市はやむなく、
紡木工務店を継ぐため会社を辞めた。
しかし時代はバブル崩壊、
建設業界は氷河期だった。 

工務店の仕事は、
徹底的に値段を叩かれ、
原価割れの仕事ばかりで、
工務店はあっという間に倒産した。
 浩市は 28 才にして
負債 9 千万を背負った。 

浩市は死を意識し始めた。
毎日の借金の取り立てと、
師走の寒空、
土地も家も失い、
生きてゆく事すら
前向きになれなかった。

もう、誰も信じられなかった。 

そこに手を差し伸べたのが、
可南子だった。
温かい食べ物、温かい風呂、寝床・・・ 

浩市はその可南子の
底抜けに明るい笑顔に癒されたが、
ただ、
家族を知らない浩市にとって、
可南子の明るさには
素直になれない影もあった。 

誰かの為ではなく、
自分が生きてゆくために
必死に生きて来た男がだから。 

しかし可南子も
そんな浩市を見抜いていた。 

可南子は今までの貯金の
全てを浩市に渡したのだ。
そして可南子は言った 

「お金なんかいつでも稼げるから
浩ちゃんにやるわ!
お金なんかで悩んで
死のうなんて馬鹿げてる。
浩ちゃんは一人ぼっちで
生きてるって思ってるけどね、
人間一人で生きてる奴なんか
どこにもおらんのよ、
あんたが喰ってる、
そのお米も、味噌汁も誰かが、
誰かの為に一生懸命作ってるんよ、
だからね、
あんたは一人じゃないでしょう? 

あたしは最初に浩ちゃんと出逢った時に
言った通り
『あたしはあんたに逢うために
生まれて来たんよ』
だからなぁ~安心してや、
ずっとずっと面倒見たるからな!」 

浩市は感じた事のないショックと、
魂の底から沸きあがる熱い物が
・涙となって溢れだした。
自分だけじゃない・・・
独りじゃないんだ・・ 
 
この後、
浩市はタクシー運転手に就職し、
可南子と結婚したのだ。 
そして産まれたのが、
 『恵』 だ。 
全ての人や物の恵に感謝して祈り
つけた名前だった。 
杉並の小さなアパートで 
3 人は生活した。
タクシーは 24 時間勤務で、
 1 日休みの為、 
可南子もパートにも出かけた。
恵は本当に面倒のかからない子で、
よく寝てよく育った。 

夫婦は子供成長に一生懸命になった。
自分たちの出来なかった夢を
子供に託したのだろう、
ピアノを習わせたり、
バレエに行かせてみたり、
期待し過ぎたが最初の子だ、
恵もその親の期待によく応えた。 
恵が幼稚園に入ると 
『春』 が生まれた。
文字通り春に生まれたから春なのだが、
この名前は可南子たっての希望だった。
全てが芽吹く美しい季節。 
しかし 浩市は男の子が欲しかったのか、
少しやんちゃな春と
プロレスごっこでよく遊んだ。 

恵が小学校に入学する時に、
浩市はタクシー運転手をやめて、
神奈川県の葉山町へ引っ越しした。
再就職は土木関係の会社だが、
災害や地震の時のボランティアをする
NPO法人もしている仲間の勧めで、
家族ごと引越しした。
現在の我が家である。 

可南子は 漁協で魚の
加工品の製造のパートや 
学童保育の仕事もしながら
歌を子供たちに教えた。
貧しいが明るい家族だった。 

そこで生まれたのが、 
『緑』 だ。
家の小さなベランダから見える
森の緑があまりにも美しく
つけた名前だった。

実はみどりは
生まれてくるのが奇跡だったいうほど、
難産だった。
生まれた時も 
1000 gないほどの未熟児で、
しかも心臓疾患があった。
心臓の弁に異常がある
先天性の疾患であり、
医者からは
中学生になるまで生きられないだろう
と告げられた。
夫婦は大きな病院や
大学病院に走り回った。
だから家での家事は、
恵が全てをやっていた。
洗濯、掃除、食事、
まだ小学 3 年生の恵は、
早く大人になるしかなかったのだ。

これには父も母も大いに反省している。
しかし、家族しかいないのだから、
お金もなく、
日々を一生懸命生きている夫婦には
選択する余裕などない。 
この時に伯母が、
見かねて近所に引っ越して来てくれた。 

緑は激しい運動は避けなければならなかったが、大切に大切に育てられた。 
そして 
『笑』 が誕生した。 
しばらく笑顔がなかった紡木家に
笑顔が生まれた瞬間だった。 

父・浩市は日本中の災害があると、
いつも出かけて行った。 
妻の可南子から救われた言葉が、
自分は一人じゃない、
誰かに救われ、守られて生きてる。 
だから、浩市は災害地へ足を運んだ。 

おかげで紡木家はいつもお金が無い。
お金はないが紡木家には、
可南子の歌と愛に溢れていた。 
 
恵、春、緑、笑、
そんな家族の思い出、
姉妹との思い出、
喧嘩したこと、
一番笑った事、
一番悔しかった瞬間、
探してみてください。 
 
父と母より 


よし
今日も笑顔で
まいりましょーぅニコニコアップアップアップ


(・ω・)ノ

ほなね~。