昨夜、主人のおばあちゃんが亡くなった。
往年105歳。 立派すぎる生命力だった。
わたしは、結婚をしたけれど主人のおばあちゃんに一度も会っていない。
主人も、20年ほど会っていなかったと言う。
本家は色々とややこしいご家庭なので、私はお葬式にも顔を出さないでおく。
わたしに嫌な思いをさせたくないとう、義母や義妹の気遣いがうれしかった。
けれども私は、これまで105年生きたひとに会ったことがない。
一度でいいから、お会いしてみたかったという気持ちは、正直ある。
数えで106年。おばあちゃんがうまれた年には何があったのだろうと調べてみた。
明治38年。
日露戦争が終結し、ポーツマス条約が締結した年だった。
夏目漱石が「吾輩は猫である」の連載を始めた年だった。
みつかった恐竜の化石が「ティラノザウルス」と名付けられたのもこの年。
そこにある歴史が当たり前であり、社会科の教科書の中でしか知りえない事実を
おばあちゃんは身を持って体験していたんだ。不思議な感じ。
もう何年も、寝たきりだったというおばあちゃんはいったい、何を想って旅立っていったのだろう。
死後の世界も天国も、そんなものは存在しないと最近どこかの外国のひとが言っていたけれど、
それが本当なら、わたしは寂しいなあ。
思い残したことを達成したり、伝えられなかったことを誰かに伝えたり、
愛する人ともう一度愛をはぐくんだり…そういう場所は、あって欲しいものだと思う。
そう思うと、いま生きている世界がもしかしたら、「死後の世界」なのかも、とか
考えてしまったりもする。
結局は「輪廻」の理論なのだろうな。
必要なものは増えることも減ることもしない。
日本の人口が減るならば、それ以外に必要な別の何かが日本の中にうまれているということ。
いまお腹の中に宿っている小さな命は、必要とされているものなんだ。
だから大切に、たいせつにしていくんだ。
おばあちゃん、安らかに眠って下さい。