ある出来事を通して、
「いるだけでいい。」
の言葉を、
いままでよりももっと
深く感じることができた。
わたしと、
ブログやFacebookだけで
出会い、繋がっていた子がいて、
その子は離れたところに住んでいて
一度も会ったことがない。
だけど、その
ネットでしか繋がりのなかったひとが
Facebookもやめて、
ブログも閉じちゃうって知ったとき。
急に、
いままでのことって
とても愛おしかったんだって気がついた。
その子が記事にコメントをしてくれてから
いま半年くらいだけど
そのあいだ、
その子の近況を見ていると、いつも
何を感じているのかわかった。
すごく気持ちが伝わってきた。
たぶん、さゆ子のも
向こうから見たら
同じようだったんじゃないかなと思う。
「会いたいね!」とか
コメントで話したり、
いいねしたりするだけなのだけど、
気がつかないうちに
それ以上に大切なものをいっぱい
もらっていたみたい。
さゆはそのひとの、
きらきらしてたり、
迷ったり、やり始めたことを
お休みしますって言ってやめたり。
無理に何かを貫かないで
自分に歩幅を合わせてるその姿が
いつもすてきだと思ってた。
失敗に見えるようなことも、
すべて含めていま、
きらきらしているな~と思ってた。
そんな、わたしの心も
ふんわり楽にしてくれていた子。
死ぬわけでもないけれど、
いま、その子は青森に住んでいて
もし、もうネットとか
ぜんぶやめちゃってってなったら。
あ~もう、
会うこともないのかもしれないし。
どんなことしてるかお互いに知ることもない。
って思った。
それって、いまの
さゆ子の生活において
他にはないことだった。
気持ち、それ以外に
何の繋がりもないひと。
学校のひとなら、
友達の友達をたどれば
会えないことはきっとないし、
そのほかの知り合いでも
連絡手段はひとつは必ずあるのが普通。
だけど、
その子ともう
パソコンでも実際にも
会うことないのかなって思ったときに
それが、本来の姿に近いのかも
って感じた。
とてもめずらしい感情だったから、
メール交換すればいいじゃんとか
LINEとか、あるけど
さゆはこの気持ちもすごく大事にしてたい。
愛おしい時間だったって気がつけたのが
すごくありがたかった。
それで、思った。
その子に、
「いてくれたらそれでいいや」って。
遠いけど、
どこかで、きっと自分らしく
生きててくれるんだから、
もうそれで大丈夫~って。
どう過ごしてしていようと。
うまくいっていようが
何もしてなかろうが、
だってたぶんあの子なら
いつだってあの子らしく生きているだろうし。
それでいい。
自分自身が、
自分のことを
「生きているだけでいい」
って思える以上に。
まわりのひとはもっと、あなたに
「生きててくれたらそれでいいよ」って
思ってるのかもしれない。
とってもきれいな気持ちを
感じられた出来事だった~。
♡
さんきゅ~ももちゃん
