お久しぶりです。


4月、新生活で軽やかな気持ちでお過ごしの方も

いらっしゃると思います。


そのような中、このような報告になってしまい

すみませんが、

これまでブログで書いてきたので

お知らせさせていただきます。


先月、3月22日に

父が他界いたしました。

86歳でした。


2年半程前にがんを患ってから、

3度の手術を乗り越え、

間質性肺炎や骨髄異形成症候群など

持病があったものの

明るく、力強く、生活していました。


しかし、昨年末に自宅で倒れ、入院。


その後、肺炎になったり

元気になったりを繰り返していましたが、

今回は戻ることができず

天へと旅立ってしまいました。


86歳といえば

天寿を全うし

お疲れ様でした、

という歳なのかもしれませんが、


それでもやはり家族としては

もっと長生きして欲しかったし、

今でも

ただただ会いたいです。


葬儀告別式の準備で

決めなければならない事が多く、

亡くなって数日は気を張っていたのですが、

日が経つにつれ、

熱海市内を歩いていても

ここは父と歩いた道、

このお店で小さい頃からよく食べたな、

ここでお洋服買ってもらってすごく嬉しかったな、

トラックを駐車場におきに行った帰りに

駄菓子屋さんで毎日100円分のお菓子を

買ってもらうのを楽しみにしていたな…

など、どこを歩いていても思い出が多すぎて

泣きながら歩いていました。


それは東京に戻ってきてからも同じで。


このお店、また行きたいって言ってたな、

ここのハンバーグが大好きで

去年12月には完食していたのに、

この桜がまた見たいって言ってたのに…。


まだどこを歩いても涙が止まりません。


でも、父は近くにいてくれると信じて、


これまで以上に

父が支えてくれる気がしています。



少し振り返りますが、

危篤になり

病院から連絡をもらって

急いで家を出たのですが、


自宅から新幹線に乗るための電車の急行が

すぐに来て、

新幹線も日に3本しかない熱海に止まるひかりが

ちょうどきて、

驚くほど早く病院に駆けつけられました。


父がそうしてくれたのかも…。


親族で一番早く駆けつけることができ、

2時間ほど

二人きりの時間をもつことができました。


これまでの感謝を何度も何度も言って、

手を握ったり

体をさすったりしなから

ずっとありがとうを伝えました。


お父さんのことを尊敬していること、

小さい頃からのたくさんの思い出、


お父さんの子供で良かった、と。


そして、父が一番心配しているであろう

母のことも、大丈夫だからね、と

何度も言いました。


酸素マスクの中で

父は「ありがとう。」と言ったように

聞こえました。


父は最期まで苦しむことも

痛みを訴えることもなく、

酸素マスクの中で大きく呼吸をし、

生きることへの強い気持ちを

持ち続けているようでした。


そして

薬剤調整で同じ病院にたまたま入院していた母や

兄、私の家族も全員が見守る中、

夕方に息を引き取りました。


春休み中だったので、

大好きで目の中に入れても痛くない孫も

ずっとそばにいられたし、

私も何故か、珍しくこの週は仕事があいていて、

仕事に穴をあけずに

すべて執り行うことができたなんて、


父は、すべて計算して

みんなに迷惑かけないように

この時を選んだんじゃないのかな?

と思う程でした。



通夜、葬儀告別式には

熱海の方々が大勢来てくださり、

町内会の皆さんが

受付などすべてしてくださいました。

幸華さんや、わんたんやさん、木村さんをはじめ、

お手伝いくださった皆様、

本当にありがとうございました。


また、来宮神社や

兄のお店「まさひろ」の方々やお客様方、

私の所属しているセント・フォース、

父がお世話になった多くの方から供花を頂戴し

葬儀に合う言葉ではありませんが、

父らしい明るく賑やかな式となりました。


そして、

私の熱海の、大切な大切な同級生たちが

たくさん参列してくれました。


恥ずかしながら、

私は泣き崩れてしまっていて

皆さん全員に御礼を伝えることができず、

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この場を借りて

お詫びさせてください。


早く会ってお礼を言いたいです。



また、

熱海市長や

市議会議員さん、

名古屋の古くからの友人や

中京テレビ関連の方々からも

供花や弔電をいただき、

父の存在の大きさを

改めて感じることができました。 


そして、なんと

今回お世話になった葬儀会社の社長さんも

「昔、本多さんにはお世話になって…」と

大変心のこもった葬儀をしていただき、

(もちろん知り合いじゃなくても

 心のこもった葬儀をしてくださるのですが)

感謝の念でいっぱいです。


また、地元の新聞にも大きく掲載していただき、

申し訳ないくらいでした。



病院では

看護師さんにも人気があった父😊


看護師さんたちは、

「本多さんは礼儀正しくて家族想いで、

 お話していてとても楽しいんですよ。」

といつもお話ししてくださっていました。


国際医療福祉大学熱海病院のみなさんは、

最期の最期まで、本当に父や家族の心に寄り添った対応をしてくださいました。


福祉大の先生方をはじめ、

これまでお世話になった虎の門病院の先生方、

看護師さんやケアマネさんや

すべてのスタッフの方々に

感謝してもしきれません。


誠にありがとうございました。


看護師さんが父に酸素マスクをつける時、

私はその場に間に合わなかったのですが

父は「お母さんを残してはいけない。」

と何度も言ったそうです。


父の思いをしっかり受けとめて、

家族で協力して

母の過ごしやすい環境を整え、

いろいろな方に支えていただきながら

母の笑顔が増える介護を

続けていこうと思います。



父は私に多くのことを残してくれましたが、

今回、大きく感じたことがあります。


それは

人との繫がりを大切にすること、です。


今回、葬儀の際に

父への感謝の言葉を多くの方からいただき、

何年も会っていない私の同級生たちが

大勢弔問にきてくれて、

「小学生の時から、

 さゆのパパは、町中で会っても

 いつも手を振ってくれてたんだよ。」

とか

「神女神楽保存会で

 小さいときから

 本当にお世話になっていて…。」

と、私の知らない父の姿を教えてくれました。


人生の最期にみんなが集まってくれる、

父のような人になりたいと思いました。


最期の最期にも

人生において大切なメッセージを残してくれた父。

ありがとう!



特にこの3ヶ月間は

熱海に通い

父の身の回りのことや

たくさん話を聞くこともできて

父と心が通じ合える深い時間を過ごせました。


数年前から

父に生い立ちから今までの話を聞いて

パソコンにまとめていたのですが、

この3ヶ月で一気に書き上げました。


それを感じ取ったかのように

父は旅立ちました。


父の歩みは、22ページになり、

葬儀の受付に置いたり

親戚にも読んでもらったりしたのですが、

家族でも知らないことが多くあったようで

驚いたり、感心したりと

みんなで父に想いを馳せることができました。


また、菩提寺のご住職も

人が歩んできた道のりを残すことの大切さを

といてくださり、

親孝行ができたのかもしれないと

感じているところです。


そして

今思うのは、

後悔があまりないということです。


介護や看護を一生懸命するのは

その人の為ではなく、

結局、自分自身の為なのだと

わかりました。


後悔がないのは、

お世話をさせてくれていた父のおかげです。


お父さん、すごい!

お父さんのおかげで、後悔しないですんだよ。

ありがとう!


そして、

私が父との時間を過ごせるように

支えてくれた家族、

適切なアドバイスをくれたり、

心が折れそうになる私を助けてくれた友人、

みんなありがとう!



まだまだ気持ちが揺らぐ時もありますが、

暖かくなってきて

ギュッと硬くなっていた気持ちが

少しずつとけてきたように感じます。


これからは

父の残してくれたメッセージを大切にしながら、

前を向いていこうと思います。


それが

笑顔で明るく楽しいことが好きだった父の

弔いになると信じて。


改めまして、

父に代わり

生前の御恩に

深く感謝いたします。

 

これからも

どうぞよろしくお願いいたします。



長文、失礼いたしました。

最後までお読みいただき

ありがとうございました。





遺影にする写真を探そうと戸棚を開けたら、

すぐにこの写真が出てきました。

沼津の水族館に行ったときのもので、私も大好きな1枚です。





父の遺影は

昨年、結婚50周年の金婚式でプレゼントした

ドレスアップ写真✨

父はこの写真がお気に入りでした。





ちなみに、母と一緒の写真も爆笑





伊豆毎日新聞さん、ありがとうございますm(_ _)m





孫を待ち望んでいた父。

おもちゃを次から次へと買ってきては

いつも満面の笑みでした爆笑





熱海梅園のうぐいす笛を孫に買って

父の方が大喜び爆笑

私も幼い頃父に買ってもらって

好きでよく吹いていました。





昨年12月の父。

虎の門病院へ3ヶ月に一度検診に来て

帰りに浪漫亭のハンバーグを一緒に食べるのが

定番でした。

新幹線の中でビールも飲んでごきげんでした😊🍺





孫とスナックでカラオケを楽しんでいましたピンク音符










お父さん、

みんなと

思いやって

協力しあって生きていくから

安心してねニコニコ


ありがとう!