あなたが死ねば「遺体ホテル」に泊まってから焼かれ、遺骨はトイレに捨てられる…孤独多死社会の現実

 

 

配信 PRESIDENT Online

 

中略

 

故人を送る側のマンパワーも、高齢化や親族間の希薄化によって限界を迎えている。つまり、「縁なき多死社会」である。そして時に、人としての一線を越えさせてしまうこともある。  

 

近年、身内の火葬後の遺骨を遺棄する事案が増えているのだ。埋葬や弔いを煩わしく思ったり、コストをかけられなかったりする人が、人知れず遺骨を捨てる。 

 

その場所は、商業施設や公共施設のゴミ箱やトイレなど。さらには、電車の網棚に「わざと」骨壷を置き忘れて去っていく。骨壷の電車の網棚への置き忘れは、「古典的手法」として知られている。  

 

遺骨は遺失物として扱われ、保管期間が過ぎれば、警察が引き取り、無縁の遺骨としてどこかの集合墓に入れられる。投棄となれば刑事事件に発展するため、「置き忘れ」の体を取るのだ。だが、火葬後の骨壷には埋葬許可証が入っているのが常。身元が判明する埋葬許可証はしっかりと抜き取って、電車に置き去りにするのだから、悪質としか言いようがない。  

 

現在は、まだまだ多死社会の入り口にある。都会では、孤独死が当たり前の風景になりつつある。多死社会への対策は待ったなしである。(抜粋おわり)

 


 

生きていれば、必ず死に出会う。生まれてくることも大変だが、死ぬこともまた大変なようだ。死を人質にして、年取った親を案に脅迫する子供も少なくない時代、介護疲れで老いた親を手にかけてしまった子供や、配偶者の事件は、その気持ちを汲むと人々の涙を誘う。それほど終わりのない介護生活は長く大変で、家族たちを追い込む状況を作りやすいようだ。

 

ところが、コロナ以降多死時代だとかで、人間の死に対して火葬場が断然少なく遺体を焼却できないケースが都市部に頻発しているようなのだ。特に、都市部で圧倒的に足らないという情報もある。また家も手狭で人が亡くなっても遺体を安置しておくスペースがないため、「遺体ホテル」なるものが、火葬するまでの遺体安置のためのニーズを担っているようだ。

 

また、全体に高齢化や親族間の希薄化などのために葬儀も簡略化の傾向にありさらに焼却後の骨箱などは、家に安置するのも面倒だという場合など、電車の網棚にわざと置き去りにしていくケースや、下水に捨ててしまうとかのケースもあるらしい。それというのも、葬儀代金がコスト高とか、葬儀にかかるエネルギーを忌避する人も多くなってきて、家族葬とか直葬といって通夜もなく直接焼却炉で火葬してお終いという葬儀も増えてきていると聞く。

 

それというのも、宗教観が薄れているのと、兄弟も少なく親戚づきあいが希薄になってきている現在、法外な戒名代とか葬儀そのものへの不信感も相まって、葬儀を簡略化する傾向は、増加しているようだ。もっとも海洋散骨とか樹木葬などという方法もあるのだが、それすら手続きが面倒になって遺骨そのものを放棄するという多死時代の傾向を表している。

 

いづれにしても、死は予告をして訪れないので、自分なりにどうしたいのか日頃考えておかないとならないのかもしれない。
 

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