ドローイング 音木 六花

 

 

 

親の背中を見て育てない子供の心は

どこへいくのだろうか!



 

「子供は親の背中を見て育つ」と一般的には言われる。でも、親の背中を持てないで育つ人もいる。孤児の方とか、成長過程で親が離婚したりした人とかも該当する場合もある。そういう人でも、親になることがある。でも普通の人が持つ背中がない。教育やしつけをしてくれる人がいなかったため、親の背中という規範がないため、価値基準が揺らいだまま人生を歩まなくてはならない。
 

そういう人物が自分の親だったら、その子供はいつも動揺する価値感に引きづられることになる。そして、社会に出た時、自分の価値感が相当社会的基準とずれていることに気付く。世の中には普通の環境にない人々も多くいるのであって、その人たちにはこんな一般常識は通用しない。世の中は生まれた時から、不公平なのだから…。その能力も…環境も…。
 

「子供は親の背中を見て育つ」と言える人は、少なくとも親を持っていた人の事例と言えるだろう。孤児として生まれ育った人は、その事例は当てはめられない。見つめるべき背中がなかった…でも、それも孤児として生まれ育った人の責任? そんなことはないだろう。誰も孤児で生まれてきたかったわけではなかったはず…生まれた場所は誰も選べない。そもそも、どこに生まれたかによって人生のハンディがある。
 

よく男にだまされやすい女性や詐欺に合いやすい女性などは揶揄されることも多いが、風俗で働く女性の多くは、知的障害がある割合が多いとも言われている。それは、言葉では語れない根深い問題があるのだと思える。ある種、社会保障は、こうした方達に焦点をあてなければならないはず…。しかし、そういう実態調査はなかなか進められていないのが現実だろう。
 

こういうことを考える時、忘れられないことがある。それは私が中学生1年の頃のこと。この頃は小学生六年生に毛が生えた位の精神年齢で、幼稚なイジメもあった。そうしたなかで、私が忘れられないのは、どう考えても知的障害があるような女生徒がいた。その女生徒は名簿が私の後で名前に松がつき、私も松がついた。新学期が始まる頃は、昔はあいうえお順に並ばされた。席順も私のすぐ後だったため、その松○さんの動向は自ずと視界に入ってきた。
 

彼女はおとなしく周囲の人とコミュニケーションを取ることもなく、いつも口元に微笑を浮かべているような女生徒だった。大抵地味で目立たない茶系の洋服を着て、何を語るわけでもなく机に座っていた。私はすぐ前の席だったが、彼女と会話をした記憶がない。彼女から言葉が発せられなかったし、私もどう対応していいのか分からなかったからだった。新学期早々はそうでもなかったが、しばらく時間が流れ、多くの生徒たちがその状況が分かってくると、言葉を発せず誰ともコミュニケーションを取らない、でもいつも口角を上げて微笑んでいる彼女と違和感を感じる生徒も出始める。
 

まだ小学六年生から脱していない悪がきの男子生徒の2人が、その女生徒をからかい始めた。何をからかっていたのか、私の記憶ではよく覚えていない。ただ、何か妙だと思ったのは、いつも靜かに微笑んでいる女性がメソメソ泣き始めたことだった。席が近い私も、さすがにその状況に黙っていられなく「やめなさいよ!」と思わず止めた。すると、その男子生徒は「なにを!」と矛先を私に向け、私の机の上に置いてあった万年筆を床にたたきつけた。それはキャップが外れてしまったのか、書きかけでキャップを開けておいたのか、ペン先が木の板に突き刺さった。「何するのよ!」私は立ち上がり抗議すると、クラスも私達の騒動に関心を向けた。まだ幼稚さが残っていた2人の男子生徒は、面倒くさそうに立ち去り騒動は終わった。その女子生徒は、ただめそめそ泣くだけで何の抵抗もしない。私は騒動に巻きこまれ、私の万年筆が犠牲になった。
 

それは入学祝に初めてプレゼントされた万年筆だった。幸い、若干ボタもれはしたものの使用することはできた。こんな騒動になっているのに、止めに入った私に対しその女性徒は礼を言うわけでもなく、ただ声も出さずめそめそ泣くばかりだった。私は、彼女をかばったことを後悔はしていなかった。それは、とっさに出た私の言葉だったに過ぎず、彼女を助けようとして発した言葉ではなかった。自分の勝手な衝動としての行動にすぎなかった。

 

それにしても、床に惨めに刺さっている私の万年筆は哀れに見えた。それは、中学校入学祝いに生まれて初めて手にした大事な万年筆だった。私が勝手に取った行動だったので、彼女に悪意などは持たなかったが、人を助けるって犠牲が多いことなのだということを中学生なりに意識した。こんな状態になっても、その女性徒は私に対して、何の言葉を発することはなかった。彼女のすることは、ただやるせなく泣くことだけだった。
 

私は名簿が近いことが原因で、私はこの女性徒と再度深い関わりを持つことになる。確か二学期だったと思う。音楽の点数を5段階で2という成績をつけられたことがあった。音楽は嫌い科目ではなく、大体いつもは90点近くは取っているのだったが、たまたまこの時は期末試験の出來があまり良くなく76点位で、自分でも不本意な成績だった。音楽は好きだったが、私は譜面を読むのが苦手でこの時の試験は譜面ばかりが出題されたためいい点が取れなかった。

 

それにしても5段階の2というのは、こと音楽に関しては、どうしたらこのような成績を取れるのかというレベルだった。相対評価だから、みんながいい点数を取れば私の評価は下がるはずだろう。成績が3だったら、私は納得したかもしれない。しかし、2となると平均点がどれくらいか分からなかったけれど、いささか変ではなかろうかと思った。しかし、相対評価なので100点や90点代がぞろぞろいれば、評価が2ということもあるだろう。
 

しかし、その時の私は、まだ小学生に毛がはえたような中学1年生になりたてで、よく判断ができずただ混乱していた。担任にでも、相談すればよかったかもしれない。しかし、この時、担任は産休中で代理の年配の男性教師に対して私は信頼感を持っていなかった。私はやむを得ず、友人に相談した。彼女は、学級委員でもあり親しくもしていた。しかし、気持ち的には、私は76点だったことを恥じていたので、本当は何とか自分で解決したかったのだった。

 

しかし、自分の考えは堂々巡りだった。その友人はおかしいと言い、音楽の先生に詳細を聞きに行くべきだと主張した。そして、自分だけの意見では不足だと思ったのか、数人の女生徒に意見を聞いてくれた。結局、私は音楽の教師の元を訪ね私の中間試験と期末試験の結果データーを持参して、なぜこの成績が2なのか説明を求めた。
 

音楽の女性教師は慌てた。その様子から、私は自分の取った行動が間違えていなかったことを確信した。後日、その経緯が明らかになった。私の成績は期末試験の成績ははっきりと記憶にないが、両者を足すと80点以上になることは確実だった。結果、分かったことは私の成績は4で2という成績は、その松がつく名前の松○さんであることも知らされた。つまり、音楽教師が何かの手違いで私の成績とその女生徒の成績を間違えて通信簿につけてしまったのだった。私の名前の一つ後が、松○さんだったので桁を一つ間違ってしまったのだろう。


結果、私の音楽の成績の評価は無事に4となった。私に4が戻ってきたということは、その女生徒には2が戻ったはずだった。経緯も説明されたに違いない。しかし、女生徒はあいかわらずどこか微笑んで席に座っている。話しかけても応ずるような気配もない。一体この少女は何を考えているのだろう。私は、なぜこの人といろいろ関わってしまうのだろう…と当時は若干溜息まじりに考えた。同じ松がつく苗字のせいだった。

 

しかし、そういう女生徒はクラスに一人くらいしかいないだろう。でも、今になれば彼女の置かれた立場が客観的に分かる。彼女は多分、人と口もきく能力もなかったのだろう。その後は席順がばらけてしまい、生々しく彼女を感じる機会は減っていった。しかし、時々彼女のことを思い出す。日常的に人と根本的にコミュニケーションが取れない彼女は、今どうやって生きているのだろうか…何をしているのだろうかと、ふと気になるのだ。

 

話を戻せば、「子供は親の背中を見て育つ」と言える人は親がある人だ。彼女の気配からは、親の姿は見えてこない。そして、実際、こういう少女が生きていくスペースが日本という国にあるだろうか。音楽に2という成績を取る人で、満足なコミュニケーションを取れない女性は、一体この日本のどこでどうやって生きていけばいいのだろう。

 

公立小学校・中学校と過ごしてきて、いろいろな環境にいた男子生徒、女生徒に出会ってきた。テンカンで倒れる女生徒、孤児院から通ってきてイナゴがのっているお弁当を食べていた女生徒…男子生徒から揶揄されると、ただ寂しげに笑っていた…そのような「寂しげな笑い」は、そうした女生徒に特有な笑い方だった。そんな笑い方を顔の表面に浮かべるしか術のなかった少女に「親の背中を見て育つ」なんて、無縁な言葉だろう。なぜならば、親がいないのだから…。あるいは、親というものの気配が見当たらなかった。そして、同時に彼女たちはどれだけ親の背中が見たかったことだろうか。

テンカンで倒れた女生徒の体は、異常に重かった。こちらは中学3年の時だったが、私は保健委員をしていた。女生徒は、授業中突然倒れた。口からは泡を吹き、黒目はどこかに遊泳してしまっていた。私もどうしていいか分からない。いくら保健委員だからって、テンカンの知識なんてなかった。でも振り返ってみると、その女生徒はダウン症特有の顔立ちをしていたような気がする。私は彼女の足を持ち、保健委員の男子生徒が頭をもって医務室まで運んだ。

 

いくら重くても放り出すことはできない。その時、よくよく思い出すと教師も飛んでこなかった。屈強な男子生徒もいたのに、か細い私に任せたまま誰一人助けなかった。テンカンは対応を間違えると窒息死する恐れだってあるというのに、こんな重大な仕事を中学生に任せたまま、教師は一体何をしていたのか。今考えると、タンカーだって学校には備えられていたはずだったのに、あるいは、先に担任教師に知らせるべきだったのかもしれない。
 

こんな現実ばかり…そして? だから? なぜ? この中学生であった子供達はどこへ行ってしまったのか。そして、何をしているのだろうか。涙を流すために生まれてきただけの彼らを、誰も助けないのだろうか。自分の運命に、ただ「寂しげな微笑み」を浮かべるしかできないかつての少女たち…その微笑が、走馬灯のように私の脳裏を通過する。
 

それも運命…あれも運命…流す涙の多さによって、魂は昇華できるのか…こんなにも不条理が山積しているアジアの欺瞞国家で、そこに住む人々の哀しみを積み残したまま、ピラミッドの頂点に居座る輩は、多分こうした人々の涙を平然と無視していられるのだろう。そして、彼女たちを流浪の旅へと放擲するのだろう。孤児院から通っていた女生徒、テンカンの女生徒、言葉もよく話せない精神に問題があった女生徒…彼女たちは、どこに行ってしまったのだろうか。
 

一方で、私は学習院のお嬢様中等部で教育実習をして女子だけのお嬢様たちの実態も見た。物心付いた時から男子の実態も知らず、宝塚みたいな世界にいると男という生物の生々しい実態も分からない浮世離れをした性格を作るらしい。おさげ髪をひっぱられたり、スカートをまくられたり、机からカエルが飛び出てきたり、遠足といえば蛇をつかんで振り回したりするうっとおしいちびっ子ギャングの子たちと付き合わなければ、その実態も飲み込めないだろう。

 

それがあたりまえの公立小学校の実態だった。いろいろなものが雑多にあって、いろいろな環境に生きている子供達がいる…それが社会であって、それを見たり経験することで、子供は子供なりに考えるだろう。そういう意味で、私は公立小学校、中学校でよかったと思っている。そこは社会の縮図だったから…。そこには、社会の矛盾や疑問が渦巻いていた。

 

突っ張っていた男子は、大抵家庭に問題があった。中学生になると、私は男子生徒同士のケンカも目の前で見た。しかし、昔の男子は突っ張り方もケンカの仕方も、あっさりしていてカッコよかった。負けは負け、勝ちは勝ち。対立すれば殴りあっても、一度決着がつけば深追いはしなかった。そういう意味ではいわゆる今風の執拗な「いじめ」というものはなかった気がする。

 

もっとも女生徒は本質的に執念深い傾向があるように感じ、単細胞な私は余り女生徒としっくりしなかった。(後年、私には性格的に女子度が少なかったということが分かった。)女生徒は自分に境界線を作くりがちで、世間的常識の枠から飛び出そうとしないのが私には物足らなかった。無論、すべての女生徒がそうではなかったが、私の心と精神を躍動させ驚愕させる人物は、おしなべて男子生徒の方が多かった気がする。(昔の男子の潔さとケンカの仕方などのエピソードについては長くなるのでまたの機会にしよう。)

 

親のあることが当たり前の人に、その親がいない欠落感は分からないに違いない。親がいても、その親とどうしても対立してしまう場合も、やはり、心はそれを引きづるかもしれない。貧乏でも両親がうまくいっていて親が大人として成熟していれば、子供はその親の背中を見て生きればいいだろう。しかし、そうなれなかった子供も多い。親がまっとうな子供はスタートラインから恵まれているのだ。

 

そして、とかくそういう人はエリートなことが多い。そして、お嬢さんやお坊ちゃん校に通い、一般の学校と一線を画したところで成長していくだろう。そして、そういう人々がこの社会のトップ階層に君臨する。だから、一般の人々の生活も考え方も分からないまま政治家や官僚になっていたりする。そして、閨閥のネットワークの編み目を拡げ、社会のいいとこ取りを平然と行う。

 

だから、今回のように人々が大災害にあって増水した水に襲われ屋根に逃げて恐怖に震えていても、平然と宴会をしたり自分たちだけおいしいものに舌鼓をうっていられる。生活を知らないから、想像力も乏しい。そうやって、自分たちが意識もせず人々を虐げていることにすら気付かない。彼らは親の背中を見て育っているのだろうか。さもありなんで、親が人を虐げ人の上に君臨していけば、それを真似ようと子供は、自然横柄で冷酷な性格に育っていくであろう。

 

わが国の不幸は、世襲によってその地位が剥奪されることがないこと。地盤も看板も不公平な上に君臨している。生まれたときから世襲で親の財産を相続できる人たちが、どうして孤児だったり、精神や身体に問題を抱えて生まれてきた方々の現実を理解できるだろう。いわば、世間知らずの輩がこの国のリーダーゆえに、多くの人々が傷つき奪われ、苦労が耐えないということに終始するのだろう。この国の民法と同様、この国はいまだに封建体制の狭間で呼吸している。

 

 

                

 

 

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✻このエッセイは2018年に書いたものです。

 

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